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Channel: レッツゴー!元日本洋楽研究会
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メルケルはニナ・ハーゲンの曲で送られた

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ドイツのメルケル首相が引退した。

TVのニュースでその退任式を見てちょっと驚いた。

 

 

ドイツでは首相や大統領が退任する儀式に、

自分の選んだ曲を音楽隊に演奏してもらって

その曲に見送られて去るのが慣例なのだそうだが

メルケルの選んだ曲にはドイツ人も驚いたらしく、こう報道された。

 

”メルケル氏は送別の曲として、共産主義政権時代に「パンクのゴッドマザー」

と呼ばれた歌手ニナ・ハーゲンのヒット曲を選び、周囲を驚かせた”

https://news.yahoo.co.jp/articles/055feb1598e440b36d1daba67453e79eb2459f7c

 

曲は「カラー・フィルムを忘れたのね」(1974年)

一緒に湖に旅行した彼氏がカメラのカラーフィルムを忘れたために

森も湖も空も雲も全部モノクロになってしまったという内容の歌。

 

 

メルケルもニナも東ドイツ出身で、この曲も東ドイツ時代のヒット曲。

共産主義政権時代の暗く重苦しく、色のない日常が歌になっている。

2人は、メルケルが1954年生まれの67才、ニナが1955年66才とほぼ同じ歳。

メルケル20才の学生時代にこの曲は彼女にとっての”青春のハイライトだった”という。

”この曲は東ドイツで生まれ、かつて私の選挙区だった地域では今でも流れている”

と言うように、一説には東ドイツ国民の4割はこの歌を歌えたのだそうだ。

 

ニナ・ハーゲンはこの後、1976年にイギリスに亡命、

そこでパンクの洗礼を受け、スリッツなんかと出会い

1978年にCBSから西側デビューしている。

私はそのデビュー・アルバムの日本盤の制作を担当した

「ニナ・ハーゲン・バンド」(日本1979年11月21日発売)

 

 

2枚めの「ウンバハーゲン」(日本1980年4月21日発売)までの担当だった。

 

 

ドイツ語で、しかも後のネーナみたいなポップソングじゃないから

営業も「野中さんこれ本当に発売するんすかぁ~?」と乗ってくれない。

じゃあ、とシングル盤を発売してもラジオじゃまったくかからん。

 

 

音楽専門誌もキワモノ扱いの小さなレコード紹介くらいしかなく

それをカバーして宣伝広告費を使ったわりには

イニシャルは私お得意の「3000枚受注目標、確定受注1800枚前後」だった。

同時期の<ビルボード年間アルバムチャートTop3>のこんな並びの中

全編ドイツ語パンクのニナ・ハーゲンの受注に行くセールスマンの

(うそだろ?)という気持ちもわからないではないが。

◆1979年全米年間Top3 

1 「ニューヨーク52番街」ビリー・ジョエル

2 「失われた愛の世界」ビージーズ

3 「ミニット・バイ・ミニット」ドゥービー・ブラザーズ

◆1980年全米年間Top3

1 「ザ・ウォール」ピンクフロイド

2 「ロング・ラン」イーグルス

3 「オフ・ザ・ウォール」マイケル・ジャクソン

 

 

それでも当時私はチープトリック、ジューダス・プリースト、クラッシュ他、

一応売れてるアーティストも担当していたから、正直傲慢なディレクターで

「俺が出すと言ったら出すんだよ」と押し切っていた。

サイケデリック・ファーズとかジ・オンリーワンズとか、スリッツとか

「EPIC THE ROCK’N’ROLL LABEL」は軒並みイニシャル1800枚くらいだったと思う。

だから会社的にはそのへんはニナを初め、全部赤字だった。わかっていたさ。

 

まあ、それはそれとして(中道右派になるのか)16年間も

ドイツの首相を務めたメルケルが自分の退任式用に選んだ楽曲が、

東西ドイツや東西ベルリンを語る際に必ず名前の出る

デヴィッド・ボウイでもスプリングスティーンでもビリー・ジョエルでもなく、

ドイツ国民ということもあろうが、

世界的に決してメジャーとは言えないニナ・ハーゲンの曲だったということが、

私はなんか・・とても嬉しい。

少年ジャンプの連載漫画だった江口寿史の「すすめ!!パイレーツ」の扉ページに

ニナがドカンと扱われた時と同じくらい、嬉しい。

 

 

「カラー・フィルムを忘れたのね」ニナ・ハーゲン(1974年)

 

https://www.youtube.com/watch?v=EKe9ybFDQ1A


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