先週のことになるが
元ベイ・シティ・ローラーズのイアン・ミッチェルが亡くなった。
62才だった。
https://www.facebook.com/BayCityRollers/
ベイ・シティ・ローラーズの仕事はしたことがないので
これといった思い出はないものの、
彼らの日本でのヒットにかかわった人たちの名前は思い浮かぶ。
CBSソニーの担当ディレクターの故・片桐博文さん。
移籍した東芝EMIでの担当の鈴木博一さん。
音楽評論家&DJチャッピーこと山本さゆりさん。
あと、、Y新聞のTさん、とか。
イアン加入の前のこと、1975年、片桐さんが
「てぃ!てぃ!てぃ!『新しいビートルズ』がいたぜぃ!!」
と興奮していたのがローラーズの日本での最初だったと思う。
日本デビュー・アルバムの邦題は「噂のベイ・シティ・ローラーズ」で、
それはいいんだけど収録曲には片桐さんに似合わぬ邦題が並んだ。
「夢見る恋人」とか「マリーナの微笑み」とか「ひとりぼっちの十代」とか。
片桐さんは同時期に担当していたテッド・ニュージェントに
「絞め殺し」「野獣地帯」「ハード・ギター爆撃機」
なんて邦題を付けていた人だったので「似合わね~」と笑ったものだ。
又、おすぎとピーコのピーコさんに頼んで作ってもらった
タータンチェックの上下を宣伝担当のUさんと2人で着て
毎日ラジオ局や雑誌社にプロモーションしていた。
ただでさえ変に目立つ衣装だったのに加え、
Uさんには立派な口ひげがあったから
着替えてくると「全然似合わね~!」とみんな大笑いをして見送った。
2人はその格好で好奇の目にさらされながら帰宅ラッシュの地下鉄に乗り、
有楽町で降りて東銀座の平凡出版までの道を歩いたという。
当時の宣伝マンはある意味において命がけで立派だった。
音楽評論家ではチャッピーと大森さんが応援してくれていた。
チャッピーに至っては「軽音楽をあなたに」のファンOB会に
今でもローラーズ・ファンが詰めかける。
最近のクイーンもそうだけど、BCR恐るべし。
順番が逆になった本国でのデビュー・アルバム
「エジンバラの騎士」までが片桐さんで
「サタデイ・ナイト」のヒット中に
東芝への移籍が決まったんじゃないだろうか。
なので私は本家以上にイアン・ミッチェルのことは知らない。
BCRでのイアン・ミッチェルの在籍期間は短かった。
やめてすぐに、ロゼッタ・ストーンというバンドを結成した。
この時代は鈴木パクちゃんが詳しいと思う。
(もしかしたら担当はナックのY部長かもしれない)
「サンシャイン・ラブ」ロゼッタ・ストーン(1977年?78年?)
クリームのカバー。
紹介ナレーションは八木さんだな。
このバンドは、キンクス「ユー・リアリー・ガット・ミー」
トミー・ロウ「可愛いシェイラ」なんかもやっている。
ロックをやりたかったんだろうと思う。