ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの全米NO1ヒット
「アイ・ラヴ・ロックンロール」の作者として知られる
アラン・メリルが3月29日新型コロナウイルスで亡くなった。
69才だった。
志村けんの訃報と重なったせいもあってか
報道は概して上記のようなシンプルなものだったが
この人はドキュメンタリー番組が作れそうなくらい波乱万丈で
日本とも縁の深いアーティストだったから今日は彼に触れてみたい。
とか言いながら、この「Music Life Club」の記事と
https://www.musiclifeclub.com/news/20200330_05.html
「Cutie Morning Moon」というサイトに載ってる
アラン・メリル本人のインタビューを読めば
どのくらい波乱万丈な人生だったかはわかる。
http://60spunk.m78.com/alanmerrilljp.html
それでも繰り返すとすれば、
「ニューヨークのため息」と呼ばれた
ジャズ・シンガーのヘレン・メリルを母に持つ彼は
1967年からバンド活動を始め、1968年に来日し、
「ザ・リード」というGSのバンドで日本デビュー、
1969年のバンド解散後は渡辺プロとソロ契約、
ヒット曲も出し、タレント活動やモデルなどもしてから
バンド「ウォッカ・コリンズ」を結成、ここは
元テンプターズの大口広司やかまやつひろしもいた。
1974年にロンドンに渡り「ザ・アローズ」を結成、
7枚のシングルとアルバム1枚の後、1977年に解散した。
彼らはイギリスで自分たちのTV番組を持っており、1976年、
英国ツアー中のランナウェイズのジョーン・ジェットが
番組でアローズの演奏を見て気に入ったその曲が
「アイ・ラヴ・ロックンロール」だった。
ジョーン・ジェットは自身のバンドでレコーディングし
1982年にビルボード誌で7週連続1位を記録することになる。
アローズ解散後にニューヨークに戻ったアランは
現在に至るまでソロで音楽活動を続けていた。
80年代にはリック・デリンジャーやミートローフの
ギタリストとしてツアーに参加もしている・・てな人だ。
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日本で活動している時はもちろんこのビジュアルだから
アイドル人気もあったので個人的には
「アラン・メリルは日本のGSの人」のイメージだった私に
その後の彼の活動はまるで日本人がイギリスやアメリカに行って
活躍しているかのように見えていた。
youtubeだとそんなアラン・メリルの激動の人生の軌跡が
いとも簡単にわかる。
まずはGSから
ザ・リード「悪魔がくれた青いバラ」(1968年)
メンバーは全員外国籍、日本語うまい。
作曲は鈴木邦彦、「雨のバラード」みたいなイントロ。
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https://www.youtube.com/watch?v=gifDVY5mYbs
アラン・メリル「涙」(1971年)
安井かずみ作詞、かまやつひろし作曲
ヒット曲だった。アメリカ人とは思えない。
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https://www.youtube.com/watch?v=k4U9D5IB3Ms
ウォッカ・コリンズ「Automatic Pilot」(1973年)
大口広司作詞、アラン・メリル作曲
既に「アイ・ラヴ・ロックンロール」の片鱗もあり
Tレックスっぽくもあり、日本のグラムの魁と言われている。
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https://www.youtube.com/watch?v=BO1YzSKEUQE
「アイ・ラヴ・ロックンロール」アローズ(1975年)
アランはベースとヴォーカル。
ギターのジェイクフッカーとの共作で最初はB面だったという。
RAKレーベルということはスージー・クワトロやマッドと同じだから
日本の担当者は東芝EMIの「大部長」だな
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https://www.youtube.com/watch?v=UETTaHaAnaQ
ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ
「アイ・ラヴ・ロックンロール」(1982年)
1982年3月20日付けビルボードHot100で1位になり
ジャーニーの「オープンアームズ」や
Go-Go'sの「ウィ・ガット・ザ・ビート」の追撃をかわして
5月1日付けまで7週間1位を守った。
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https://www.youtube.com/watch?v=iC8oP4Z_xPw