小学生の頃から音楽も映画もすべて、ラジオ、TV、レコード、
映画館のスクリーンという「媒体」を通じて楽しんでいました。
私が生まれて初めてナマの「ライブ」を体験したのは
音楽ではなくて「演劇」でした。
(学校の音楽教室の演奏会は退屈だったのでカウントしません。
初めての音楽のライブは1966年のフランス・ギャルです)
それは1964年3月20日、劇団文化座「土」前橋公演。
中学卒業式(3月16日)と高校入学式(4月7日)の間、
ビートルズのシングルを買った翌月、
デビューLPを買う前月のことでした。
忘れもしません、TVの画面でもスクリーンの上でもなく、
「演者が自分と同じ空間で同じ空気を吸いながら演技している」
という、ライブだから当たり前のことが、凄まじい衝撃でした。
演じていたのは佐々木愛さん
その数ヶ月前にTVドラマを見て一目惚れ
劇団にファンレターを出したらまさかの返事で
もうすぐ前橋に公演で来ると知り
(もしかしたら会えるんじゃないか)くらいの
軽い気持ちで見に行ったものでした。
好きな愛さんを目の前で見られて嬉しかったのはもちろん
「演劇」の魅力に予期せずズッポリはまった瞬間でした。
幸いにも愛さんには公演の後で挨拶することもでき
優しく接して頂いたこの日以降
「音楽」「映画」「演劇」が
私のエンタテインメントの3本柱になりました。
ただ3本柱の中でも日記に書かれている量は演劇が一番多く
しかもこの場合「演劇=佐々木愛」です。
今では劇団「文化座」の堂々たる代表の佐々木愛さんも
1964年当時は可愛い20才、
なんとレコードまで出しています。持ってます。
何回不躾な手紙を出してその度に返事を頂いたことか。
達筆で10通以上はあるそれらのお手紙は
お土産にもらった鎌倉豊島屋の鳩サブレーの缶に入れ、
宝物のように大切に実家に保管していたのを先日発見して
持ち帰りました。
文化座の東京公演は必ず観に来て
楽屋ではお母さんで劇団の看板女優だった鈴木光枝さんに
「あらあら前橋からわざわざ来てくれたのね」なんて
お茶を淹れてもらったりもしたものです。
演劇は表現手段ですからエンタテインメントとか
ショーとかと言ってはいけないのかもしれませんが
愛さんのおかげで地方の高校生の私にとって
演劇は好きな音楽や映画と同じように
キラキラとした眩しいエンタテインメントで
大きな憧れになりました。
文化座=佐々木愛さんこそその後の私の人生に
大きな影響を与えることになる存在だったのです。
3年後、浪人して上京した私は
もし大学に入学できなかったら
愛さんに頼んで文化座の文芸部の方に進もうかと
本気で考えたくらいでした。
1964年、どのくらい熱烈なファンだったか
日記の年末にこんなリストを書いています。
<愛さん出演1964年>
1年間に私が見た舞台とTVとラジオの全記録62本です。
こんなマニアックな資料はきっと劇団にも残っていないでしょう。
1968年、幸いにも大学に合格した私は
演劇の傾向も新宿や下北沢に移って行って
あんなに思い入れのあった文化座なのに徐々に足が遠のき
40年の月日が流れることになります。
そして40年後、私にとっては劇的な再会があるのですが
今日は今から外出しなきゃいけないので次回にします。