山の麓まで続く生姜畑の奥にひっそりとその集落はあった。
作業中の女性に兄が尋ねた。
「168番地というのはどのへんでしょう?
昔は十一番屋敷という地名だったのですが」
そんな旧地名は聞いたことがないという。
でもその番地ならばここから少し先ではないかと。
歩くとすぐに山へ入る道になる。
「うん、間違いなくこのへんだね」
思い切り空気を吸い込む。
兄と妹との「野中家ルーツを辿る旅」初日
高知県窪川駅に隣接する四万十町役場で
取れる限りの戸籍を入手し、まずそこに向かったのは
オーバーに言えばそこが<野中家発祥の地>だからだ。
いつの時代にそこに定住したかは定かではないが
数百年間うちのご先祖サマは確かにここに住んでいた。
山々の間に広がる耕作地は想像していたよりずっと広く
田んぼと畑は生姜畑がほとんどを占めている。
祖父も、曽祖父も、高祖父も、さらに一代前の野中茂内も
幼い頃に泳いだはずの四万十川の沈下橋まで
集落から徒歩なら2~30分ほどだろうか。
四万十川は連なる山の麓を縫うように蛇行し
峻険ではないせいぜい数百メートルの山並みなので
利根川上流と比べると川の流れははるかに優しく緩やかだ。
とは言えこの日は台風18号の通過で死者まで出た翌日
川に「日本最後の清流」の趣はなかった。
宿泊は四万十川源流の日野地川に佇む松葉川温泉。
露天で渓流を眺めた後は天然の子持ち鮎やアオノリなど
山の幸を食しつつ明日の予定を相談する。
事の始まりは実家の父の本棚にあった父の自費出版本とこの本だった。
1970年発行の「窪川町史」
豊臣政権下で作成された長宗我部地検帳などが詳しく
読んでいるうちにたまらなくルーツを探訪したくなったのだ。
兄と妹に行くなら今しかないと誘って家族連れで実現した。
もしかしたらこれが最初で最後の兄妹旅かもしれない。
明日は祖父が戦後遂に先祖伝来の地を離れ移り住んだ土地と、
彼が90年の最期を迎えた廃家が残る家屋を訪ねることにした。
そうそう、四万十川の鰻も食べなきゃ、とも。