昨日「悲しき鉄道員」は何年のヒットだったっけ?と調べてたら
こんなデータが見つかった。
1971年1月11日のオリンコン・シングル・チャート
1位 霧の中の二人 マッシュマッカーン
2位 悲しき鉄道員 ショッキング・ブルー
3位 男の世界 ジェリー・ウォレス
4位 走れコウタロー ソルティ・シュガー
5位 おんな占い 南有二とフルセイルズ
6位 生きがい 由紀さおり
7位 誰かさんと誰かさん ドリフターズ
8位 京都慕情 渚ゆう子
9位 京都の恋 渚ゆう子
10位 愛のきずな 安倍律子
11位 大勝負 水前寺清子
12位 魔法 ルー・クリスティ
13位 女は恋に生きてゆく 藤圭子
14位 悲しき初恋 パートリッジ・ファミリー
15位 ミスター・ロンリー レターメン
16位 レット・イット・ビー ビートルズ
17位 ミスター・マンデイ オリジナル・キャスト
18位 別れたあとで ちあきなおみ
19位 愛のいたずら 内山田洋とクール・ファイブ
20位 ピノキオ ダニエル・ビダル
堂々1位の「霧の中の二人」マッシュマッカーン
ディレクターはシングル担当ディレクターだった
高橋裕二さん。
高橋裕二さん。
昨日書いたように日本の洋楽ディレクターの特権(?)で
この人の場合は大胆にもラジオ用にイントロをカット
この人の場合は大胆にもラジオ用にイントロをカット
オリジナル・タイトル「As The Years Go By」に
「霧の中の二人」という邦題を付け
オリコン総合チャート1位に輝く快挙を成し遂げた。
もしこの曲が「アズ・ザ・イヤーズ・ゴー・バイ」というタイトルで
30秒の長いイントロもそのままだったら
オリコンNO1はなかったかもしれない。
オリコンNO1はなかったかもしれない。
ちなみに海外のバンドがオリコンのシングル・チャートで
NO1になるのは、このマッシュマッカーン以降
40年以上も時を待つことになる。
NO1になるのは、このマッシュマッカーン以降
40年以上も時を待つことになる。
それにしてもこの週のチャートは当時を象徴している。
1位の「霧の中の二人」はイントロカット、
2位の「悲しき鉄道員」はピッチ上げ、
3位の「男の世界」は「う~ん、マンダム」の日本独自ソング。
歌謡曲でも渚ゆう子の2曲はベンチャーズ作曲。
日本の担当者の自由奔放と言うか傍若無人な為しようと言うか
今じゃ訴えられる企画も相当あった時代のこの1位と2位、
トップ20内に洋楽曲が9曲もランクされているのも時代だ。
裕二さんはこの「霧の中の二人」の後、
72年、73年にも日本洋楽の大ヒットシングルを出す。
72年、73年にも日本洋楽の大ヒットシングルを出す。
「木枯らしの少女」(ビヨルンとベニー)
「落ち葉のコンチェルト」(アルバート・ハモンド)
3曲に共通する裕二さんの邦題傾向がわかる。
また、3曲とも邦題と歌詞の間には何の関連性もない、
「雰囲気」だけなのだ。
「雰囲気」だけなのだ。