折田育造さんが亡くなった、享年79。
他社なのに親しくさせて頂いた業界大先輩だった。
1965年の日本グラモフォン入社以来、
洋楽、邦楽の現場から叩き上げ、ウィア・ミュージック社長、
ワーナーミュージック社長、ポリドールレコード社長、
ユニバーサルミュージック相談役などを歴任した。
業界のまさにレジェンドで、ソウルミュージックのイメージが強いが
実はレッド・ツェッペリンやディープ・パープルも担当は折田さんだ。
70年代の麻布材木町「スピークロウ」などでよくお会いしていた。
でも対面で酒を飲みながらじっくり深い話ができるようになったのは
私が退職してからで
特にFM Cocoloの2時間番組「パイレーツ・ロック」に
ほとんどセミレギュラーのように出てもらうようになってからは
収録後の「反省会兼飲み会」での日本の洋楽ヒストリーと
オフレコのマル秘エピソードを爆笑しながら聞くのが至上の喜びだった。
このブログにも折田さんの名前は勝手に30回近く使わせてもらっている。
ご一緒した写真も多い。
7年前の私のブログ「ほとんど洋楽同窓会」楽しかった。
https://ameblo.jp/nihonyogaku/
ここ数年、尊敬する業界の先輩たちが次々にお亡くなりになっている。
折田さんも今年に入って体調がすぐれないとは聞いていた。
3月に逆に「どうだ、その後」と私の体調を心配して頂いた電話が最後になった。
なんとも、言葉がない。