今朝、古書店が本の受け取りに来て、
本日をもって家からほとんどの本が消えた。
廊下に山積みされていた本が小分けにされ
手際よく紐でまとめられ次々に運び出されるサマを
マスク越しにただ眺めているうちに
もの悲しさと言うか、うら寂しさを覚えていた。
(あ、それ大好きな本。あ、それは尊敬する人の自伝・・)
正確な日本語表記かどうかわからないが
「うら哀しさ」がピッタリくる心境だった。
「断捨離」とは「断行、捨行、離行」
哲学的なヨガの教えから取ったものだそうだ。
でもそんな本来の意味に興味はなく
私は単に身辺の片付けの一環としてモノを捨てている。
カッコつけて言うならば「執着を捨てている」
でも実は執着を捨てるのには痛みが伴うことを今朝知った。
陳腐な喩えだが想い出を共にした恋人との別れ、みたいな。
「執着」の意味は広辞苑によれば
「強く心をひかれ、それにとらわれること。深く思い込んで忘れられないこと」
だそうだ。
ならば同じ執着にも「大執着」「中執着」「小執着」があるように思う。
今日も家に残った本は今回どうしても手放せなかった大執着で、
今日いなくなった本が中執着と小執着だ。
その中と小ですら、失うことはこんなに寂しく痛い。
とすれば、何千枚かあるCDで今までに捨てた数百枚には
痛みを感じなかったから、あれらは小執着の下の、微か無だったのだ。
もし今あるCDを大中小に分け大だけ残し中小を捨てるとしたならば
一体どんな気持ちになるのだろう。
(できない)(無理)
ところで月曜日に断捨離しようとしていた衣類のことを書いたところ
昨日までに知り合いから連絡が入り「メタリカ」「ライオット」
「ハート」「バングルス」「デフ・ジャム」「トミー・ボーイ」
「フィオルッチ」の引き取り手が決まった。
同じ断捨離でもそこに今日の本のようなうら哀しさはなく、喜びすらある。
「捨てるか」「譲るか」「売るか」が断捨離の具体的な行動だとすれば、
「譲る」というのが一番幸せな結末なんじゃないかと思う。
今朝のあの本たちも、誰かの手に渡って欲しい。
特にあの本やあの本。
心からそう願う。
正直ここまで自分が本に執着していたことを知ったのも今朝の発見だ。
私の今日の気分はメタルでもパンクでもなくGSか演歌だな。
演歌なら内山田洋とクールファイブの「恋歌」だけど
GSで行こう
「君に会いたい」ザ・ジャガーズ(1967年)
https://www.youtube.com/watch?
しかし、断捨離とは関係ない話で
このジャガーズもオリジナルメンバー6人中、
Voの岡本信初め3人が鬼籍に入っている。
寄せ集めの他の元GSメンバーで歌ってはいけない歌だ。