本の消えた本棚の奥から仕事関係のシングル盤が出てきた。
輸入盤、白盤、ラッカー盤、記憶にないディスコ盤など。
中ではそこそこヒットしたと思えるのが
アダム&ジ・アンツ「スタンド・アンド・デリバー」
出てきたこれはイギリスの初回プレス盤のジャケット。
音楽業界がポスト・
ニューヨーク・ドールズ、セックス・ピストルズを仕掛け、
このバンドの初期のマネージャーだったマルコム・マクラーレンと別れて
アダム&ジ・アンツはCBS/UKと契約した。
それでもマルコムのパートナーのヴィヴィアン・ウェストウッドの手による
海賊ファッションはそのまま継承し、それがイギリス中を風靡し、
CBSでのファースト・アルバム「アダムの王国」(1980年)は
イギリスで実に10週連続1位を記録した。
ここからニュー・ロマンティックスのブームが始まり
デュラン・デュランにつながったと言っても過言ではない
「スタンド・アンド・デリバー」は次のアルバム
「プリンス・チャーミング」(1981年)
10週連続No1アルバムの次だから当然CBS/UKも力を入れ、
最初の写真のように初回プレスはカラーのスリーブに入れ、
そして初登場1位だった。
負けじと日本盤シングルは二つ折りのジャケットにした。
通常のシングル盤ジャケット2枚分の上に
ふんだんに写真を使っているから製版代もかかったはずだ。
発想としてはLPのスリーブなのでこういうのはシングル盤では珍しい。
ライナーノーツもしっかり今泉恵子(当時)さん。
そして、初登場1位、にはならなかった・・。
逆にアメリカンロック好きなラジオ・ディレクターやDJの人たちは
パンクの時と同様拒否感を示し、キワモノ扱いすらされることもあった。
ブリティッシュ・
(ったく!)
でも湯川先生が「いいわよ、この子」と言ってくれたのが嬉しかった。
また、アルバム「プリンス・チャーミング」の広告のコピーライターは
後に作詞家の大先生になる東急エージェンシー時代の売野雅勇さんだった。
そんな人が書いてくれたいくつかのヘッドコピー案を前に
恐れ多くも私は「売野さん、ヘッドは『魅惑王子』
なんて言い放ったことを覚えている。
今となってはまさに赤面と汗顔、両方の至りだ。
それと実は制作担当が私だったか清水彰彦さんだったかは覚えていない。
私はクラッシュの1980年のUKツアーを追いかけて以降
新人バンドの直接担当をやめて若いスタッフに任せ、
自分は横から口を挟んだりNG出したりの
イジワルじいさんみたいな役をやっていたから
実質は清水さんだったかもしれない。
プロモーションも清水さんメインでコスプレまでやっていた。
(写真左から、清水さん、塚越みどりちゃん、東郷さん、私)
もちろん交通機関は電車利用だ。
1981年秋に来日公演
マスコミの前では極端なイケメン&ナルシストを演じるアダム・アントも、
素顔は素直でポライトでシャイな可愛い男だった。
現在も活動中のアダム・アントのオフィシャル
最近の写真はジョニー・デップに寄せてるのかな。
でもアダムの方が早いんだけどね。
「スタンド・アンド・デリバー」アダム&ジ・アンツ