アーティストの訃報が連続している。
マモル・マヌー、岸部四郎、藤木孝、守屋浩、イアン・
寂しい話だが訃報をキッカケにその人の歌を聴き直す行為が昨今多
私の場合、ヒット曲と言うより流行歌をよく聞くようになったのは
小学校5~6年生の1960年前後で、
好きだったのは守屋浩、佐川ミツオ、飯田久彦、弘田三枝子など、
特に守屋浩が好きなのにまだレコードプレイヤーもなかったから
ブロマイドを勉強机の前に貼っていたものだ。
守屋浩「僕は泣いちっち」(1959年)
佐川ミツオ「二人の並木径」(1960年)
飯田久彦「悲しき街角」(1961年)
弘田三枝子「子供ぢゃないの」(1961年)
藤木孝「24000のキッス」(1961年)
こうして並べてみると「僕は泣いちっち」以外は洋楽のカバー曲だ。
自分が後の洋楽の入り口のすぐ近くにいたんだなとわかる。
そっか、だから同じ1960年でも橋幸夫の「潮来笠」は
イマイチに思えたのか。
橋幸夫と書いて話は飛ぶのだが「潮来笠」はいわゆる「股旅もの」
この頃、歌詞に「三度笠」「渡り鳥」が入っている歌謡曲が実に多く、
忠太郎やら佐太郎やらが旅をする「股旅もの」
後のヤクザ映画の健さんはカッコ良かったけど
三度笠で「ごめんなすって」
(唯一の例外は「木枯し紋次郎」でした)
ところがロカビリー出身の守屋浩も佐川ミツオも股旅ものを歌って
(飯田久彦はなかったと思う)
歌っているんだけど大向うから声が掛かるような歌ではなくて
ちょっと斜めにスカした股旅だった。
守屋浩には「泣きとうござんす」がある。
カップリングは「スッチョイ三度笠」だもの、なんじゃそれ。
「泣きとうござんす」は映画化もされシリーズ二作目は「
でも長い細くて足がいかにも弱そうで、股旅ものには似合わなかった。
そもそも軽妙な歌の多い守屋浩だけど、おちょくっているかのような
佐川ミツオは「無情の夢」「ゴンドラの唄」「
戦前の歌謡曲を歌っている中に「涙の渡り鳥」というマジな股旅ものもあるが
極めつけはオリジナルの「背広姿の渡り鳥」だった。
ちょんまげにカッパからげて三度笠が股旅の定番なのに、背広。
背広着てギターを抱えながら江戸ならぬ東京から離れて旅をする。
でもこれは多分小林旭の渡り鳥シリーズを意識している。
と、こういう昔話を始めると長くなるから今日はこの2曲、
噂の「泣きとうござんす」守屋浩(1961年)
恐らく訃報には「大学かぞえうた」「有難や節」
「僕は泣いちっち」くらいしか書かれないと思うので
守屋ファンとしては「月のエレジー」「夜空の笛」「長いおさげ髪」
「東京へ戻っておいでよ」などを選びたいのだが話の流れでこれにした。
https://www.youtube.com/watch?
「ツイストNo1」藤木孝(1961年)
オリジナルはジョイ・ディー&スターライダースというグループの
「ペパーミント・ツイスト」
オリジナルが全米No1になるよりも前に藤木孝はカバーしている。
プレスリーの「ロカ・フラ・ベイビー」を
「ツイスト・フラ・ベイビー」のタイトルでカバーしたり、
とにかくツイスト・ブームの中心にいた黒ずくめシンガーだった。
それにしても亡くなり方が・・・。
https://www.youtube.com/watch?
お二人に合掌。