ABBAのビョルン・ウルヴァースが
「著作権協会国際連合」というところの会長に就任した。
https://www.asahi.com/
ビョルンはABBAのヒゲのない方(今は2人ともヒゲだけど)
功成り名を遂げこれからは文化に貢献てとこかな。
2年前にABBAが再結成して新曲をレコーディングし、
どうやらそれが今年ようやく出るらしいというニュースもある。
https://nme-jp.com/news/89265/
ABBAと言えば大ヒット曲の「ダンシング・クイーン」や
ミュージカルと映画の「マンマ・ミーア」などで有名な、
スウェーデンが生んだ世界的スーパースターだが
彼らの名前を最初に世界に知らしめたのは「恋のウォータールー」だ。
1974年のユーロビジョン・ソング・コンテストの優勝曲だった。
それに関するこれも先日のニュース
BBCの視聴者による投票で、ユーロビジョン・ソング・コンテストの
「ベスト・ソング・オブ・オールタイム」に「恋のウォータールー」が選ばれた。
ビョルンが語っている
「孫が初めて自分のおじいちゃんが昔ポップスターだったと知った」
https://www.youtube.com/watch?v=lK7DSH7iG-Q
恋の勝ち負けみたいなこの歌の歌詞の頭は
「At Waterloo,Napoleon did surrender」で、
つまり「ウォータールー」は「ワーテルローの戦い」の「ワーテルロー」だ。
再起を目指したナポレオンがイギリス他の連合軍にボロ負けし、
後にセントヘレナ島に流されたという戦争。
ロンドンのウォータールー駅の駅名もここから来ている。
ABBAが恋の歌に使うくらいだから、ヨーロッパでは常識なのだろう。
私はこの「ワーテルロー」には思い出がある。
世界史が得意じゃなくてフランス革命の年すら答えられない私でも
このワーテルローの戦いだけは1815年とすぐに答えられる。
その理由は先日書いた「あゝ無情(レ・ミゼラブル)」と
高校生の時に読んだスタンダールの「パルムの僧院」のおかげで、
両方ともワーテルローの戦いが大きな意味を持っていたから
「パルムの僧院」の時に前後のヨーロッパ史を調べ
それで「ワーテルローの戦い=1815年」が頭に刻み込まれた。
高3のその頃にスタンダールに凝っていたことが大きい。
「パルムの僧院」の前に読んだ「赤と黒」が衝撃で、
気に入ったフレーズに傍線をつけてそこを何回も読んだものだ。
その小林正訳の新潮文庫は今も捨てずに持っている。
さっき見たら真っ茶色に変色した上下巻の扉ページにこんな書き込みがあった。
「義務が俺を呼んでいる」「ナイルのみなもとは誰も知らない」ジュリヤン・ソレル
笑止で意味わからんけどきっと気に入ったセリフだったんでしょう。
53年前、青春というか「若気の至り」ということですな。
「恋のウォータールー」アバ(1974年)
ジャケット表記はまだビョルンとベニーだ。
https://www.youtube.com/watch?