ここでyoutube「エド山口のOh!エド日記」を紹介したら
同世代の人たちから激しく反応があって
昨日なんて鈴木ぱくちゃんが
「メールじゃ伝わらないので」と感動の長電話をかけてきた。
音楽ネタとは言ってもエド山口は限定ジャンルじゃなく
エレキ、GS、歌謡曲、アイドル、洋楽・・と、
一般の団塊世代が通過してきた音楽の芯を食っているから
このチャンネルはこの後も我々世代に爆発的に受ける予感がする。
芸能界の表も裏も知り尽くしているはずのエド山口なのに
トークに品を保っているところも私は好きだ。
4月8日のNo23「シャープ・ファイブ三根さんからの手紙」
https://www.youtube.com/watch?
グヤトーンのシャープファイブ・モデルの話や
「勝ち抜きエレキ合戦」「世界へ飛び出せ!ニューエレキサウンド」
サベージの話なんか懐かしく聴いていたらここでも個人的な記憶が蘇った。
「勝ち抜きエレキ合戦」のレギュラー出演バンドだった
「井上宗孝とシャープ・ファイブ」に
中学校のバレーボール部の先輩だった前田旭さんが在籍していた。
左、三根さん、右、前田さん
バレーボール部2年先輩で実家も近く、
この人のユニフォームを部室で洗ったこともある。
前田さんがいた時のバレー部は市内大会で優勝、
県大会でも結構いいところまで行っていた。
(私の時代も市内大会は優勝、県大会ではコロリと負けた)
中学を卒業してからどうなったか知らないでいたら
高校生のある日、
当時エレキブームの中核にあったテレビ番組「勝ち抜きエレキ合戦」で
ギターを弾いている前田さんの姿を見つけた時の、私の驚きたるや!
生のエレキを聴いたのは高1の学園祭で3年生バンドの
「マイボニー」を見たのが初めてだったくらいだから、もう大変。
北関東の田舎町の私にとって
(あの前田さんがエレキ弾いてる!)
(しかもプロになってテレビに出てる!)は衝撃だった。
エレキが当時不良の音楽だったせいもあり
高校生仲間ではあまり騒がれなかったけれど
前田さんは番組審査員の福田先生、湯川先生より私のヒーローになった。
シャープ・ファイブは最初シャープ・
「シャープホークスとそのグループ」の「そのグループ」だった。
1965年に「シャープファイブ」として独立。
「ゴールデンギター」「追憶」「白い雲の彼方に」のジャケットには
前田さんも写っている
1967年にシャープファイブを脱退
「ザ・キャッツ」というバンド名で活動した後に
「ザ・ターマイツ」というグループサウンズを結成して
1968年にクラウンレコードからデビューしている。
デビュー曲は「お友達でいつまでも」
・・・知らない・・・。
前田さんどうしているのかな。
今日は、リズムギターは前田さんの後任の人だけど
シャープ・ファイブ「キャラバン」
シャープ・ホークス「遠い渚」
https://www.youtube.com/watch?v=94dqkNosBn4
ところでエド山口ともシャープ・ファイブとも関係なく
うちにも「アベノマスク」が届き、こんなyoutubeを見つけて、笑った。
しかし、使えないマスクだ。。