1965~6年頃の日本の洋楽は、ビートルズ旋風以外に
フレンチ・ポップスとイタリアのカンツォーネも大きな勢力だった。
番組「パイレーツロック」の場合はヨーロッパの曲だと
マジョリー・ノエルの「そよ風にのって」を選曲する人が圧倒的で、
マジョリー・ノエルの「そよ風にのって」を選曲する人が圧倒的で、
何故かフランス・ギャルやジリオラ・チンクエッティは少ない。
またハリウッド映画とも合わせヨーロッパ映画も絶頂期だったから
そこからも数多くのヒットが生まれていた。
もしかすると<映画音楽>こそ当時は最大の勢力だったかもしれない。
それとは逆に、ヒット曲がそのまま映画化されることもあった。
歌謡映画ともいうべき、いわば人気便乗型の
取るに足らない恋愛映画がほとんどだった。
この傾向は世界的なもので、日本でも舟木一夫「高校三年生」、
三田明「美しい十代」など製作され、しかも映画館は満杯だった。
(観に行ったので証言できてしまう私だ)
プレスリーも若大将もタイガースも似たようなものだ。
プレスリーも若大将もタイガースも似たようなものだ。
イタリア映画「ほほにかかる涙」、「貴方にひざまづいて」は
脚本家も監督も同じ上に、ヒロインまで同じ新人女優だった。
前置きが長くなったけど、この女優さんを高校生の私は好きだった。
「貴方にひざまづいて」は珍しいことに2回も観に行った。
(何回も行くような映画ではない)
そしていかにもお嬢さん女優という感じだったラウラ・エフリキアンは
ジャンニ・モランディは「サンライト・ツイスト」の方が有名かもしれないが
私はこの「貴方にひざまづいて」が好きで、歌詞をカタカナで覚えたものだ。
イオ ボリオ ペルメ レトゥエカ レッツェ
シー イオタモピュ デラミア ビータ
リトルネロ イン ジノッチオ ダテ
ラウトラ ノネ ノネニエンテ ペルメ
(ほら、まだ歌える)
(ほら、まだ歌える)
検索したらその後のラウラ・エフリキアンと
イタリア語はわからないけれど元女優の面影はある。
今のイタリア人の若者は知らないみたいだ。
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