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Channel: レッツゴー!元日本洋楽研究会
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映画「ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡」

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映画「ビサイド・ボウイ~ミック・ロンソンの軌跡」

 

https://besidebowie-movie.jp/

 

そもそも一般的には「ミック・ロンソンって誰よ?」

のレベルかもしれないそんな人のドキュメンタリー映画は

客の入りも寂しいもので前の晩に予約状況を見たら2人でした。

それでも始まる時には20人ほどいたでしょうか。

 

ミック・ロンソン

 

 

デヴィッド・ボウイのバックバンド

「スパイダーズ・フロム・マース」のギタリスト。

ギターの腕前だけでなくアレンジも巧みだったし、

ルー・リードやモリッシーのプロデュースも手がけるなど

恵まれた音楽の才能に加えルックスも良く人気があり

本人も言っているように一時は

「ビートルズのジョン&ポール、ストーンズのミック&キース、

ザ・フーのロジャー・ダルトリー&ピート・タウンゼントと同じで

デヴィッド・ボウイ&ミック・ロンソンだった」

 

ボウイのアルバム「世界を売った男(1971年)」から

「ハンキー・ドリー」「ジギー・スターダスト」

「アラジン・セイン」「ピンナップス」(1973年)まで

第一次絶頂期のボウイを支えた音楽面のパートナーだったが

この間わずか1年半。

 

 

この後モット・ザ・フープルに加入してバンド最後のシングル

「モット・ザ・フープル物語(Saturday Gigs)」を作り

イアン・ハンターと駆け落ちし2人でも活動。

しかし、1992年4月20日のウェンブリー・スタジアム

「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」  に出演して

クイーンのメンバーやボウイやイアン・ハンターと一緒に

「すべての若き野郎ども」を演奏したその1年後に46才で早逝。

 

その追悼コンサートの映像「すべての若き野郎ども」

トレードマークのような白シャツがミック・ロンソン。

 

https://www.youtube.com/watch?v=BLCKnlSZANo

 

映画を見終えて改めて思うのは、

圧倒的なマルチの才能とビジュアルを持ちながら

ボウイのようなスーパースターになれなかったのは

本人にも責任があったのは当然だとしても

マネージメントが不在か能力のないマネージャーだったから

ということも言えるのではと思う。

後半の人生が「なにか仕事ないですかねえ」じゃ寂しすぎる。

 

そしてこの映画で初めて知ったのは

私も見に行った1973年のデヴィッド・ボウイ初来日の時に

マネージャーからミックはクビを宣告されてたそうで

ギャラがらみとはいえ悪評高いマネージメントが酷いとはいえ

そのへんのいきさつをボウイが事前に知らなかったはずもなく

少しボウイが嫌いになったかも。 

 

今日はクイーン・ファンも理解してくれそうな

ミック・ロンソンの才能がわかりやすい曲。

アルバム「アラジン・セイン」(1973年)より

「タイム」

2分過ぎあたりの展開とアレンジを是非。

 

https://www.youtube.com/watch?v=MQSZR3NSqm8

 

映画の後で軽飲みしながらそんな話を

ああでもないこうでもないとしているのは

左から元KISSファンクラブ会長、

元モット・ザ・フープル日本担当ディレクター、

そして元デヴィッド・ボウイ・ファンクラブ会長

 

 

3人の結論は「早く行かないと公開がすぐに終わってしまう」

それと「アンジー、いかがなものか」

 


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