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Sげとちゃんと私

1972年同期入社の彼が担当したアーティストは

例えばカネボウ化粧品1975年秋のCMソング

アラン・シャンフォー「ボンジュールお目目さん」

 

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同じくカネボウで続く1976年春の

デイヴ「ギンザ・レッド・ウィウィ」

 

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などを初めとする多くのフランスものです。

その流れの上の代表的なヒットは

山田太一脚本のTVドラマ「沿線地図」の主題歌

フランソワーズ・アルディ

「もう森へなんか行かない」 (1979年)でした。 

 

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同じ山田太一脚本の「岸辺のアルバム」(1977年)の主題歌は

私が担当していたジャニス・イアン「ウィル・ユー・ダンス」

でしたから、お会いしたことはありませんが

私たち2人は山田太一さんに足を向けて眠れません。

 

2人ともEPICソニー創立メンバーで

お互いに担当したジャンルは違っていたものの

「日本仕掛け」つまり<日本洋楽>が共通するコンセプトでした。

滅多に全米1位とか出ないEPICレーベルなので

そうせざるを得なかったというのも理由の一つです。

 

そんな私たちが自分の得意ジャンルを超え

ガップリ組んで仕掛けたアーティストが2人います。

 

フリオ・イグレシアス(1982年)

ウィリー・ネルソン(1984年)(CBSソニーに異動後)

 

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前にも書いていますので詳細は省きますが

他の誰でもなくフリオとウィリーを売ったのは私たちです。

(これだけは譲れません)

2人とも1990年にはもう洋楽部門を離れていますので

日本のレコード会社の洋楽担当者としては

このプロジェクトが私たちにとって最大のピークで

結果的にそれまでの2人の洋楽仕事の総決算になったと思います。

 

そんな彼と4~5年ぶりになりますか、

渋谷で会いました。

お互いさらに歳取ってました。

体はどうなの?と聞いたら

病気が見つかると嫌だから10年近く健康診断には行ってないと。

いかにも、らしいです。

 

Sげとちゃんは今もフルバンドでリーダーを続けていました。  

入社当時、このハイノートを完コピして吹いている彼に驚愕したものです。

慶応のライトの伝説的トランペッターだったSげとちゃん、

当時はもしかするとビル・チェイスより上手かったかもしれません。

今は、、どうなんかなあ。

 

Sげとちゃんの原点、

メイナード・ファーガソン「マッカーサー・パーク」(1970)

 

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https://www.youtube.com/watch?v=nazgqHaFAio

 

苦悩と歓喜の80年代の思い出話は尽きることがありませんが

このへんで店の前で記念撮影して解散です。

 

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