ジョー・ストラマーの命日12月22日に
BBC Archive というFacebookで
こういう映像がアップされていたと友人が教えてくれた。
クラッシュの1980年の7分ほどのドキュメント。
「ロンドン・コーリング」直後の80年1月から2月にかけての
「16トンズ・ツアー」と思われる。
大貫憲章さん、KAZ宇都宮さん、カメラのヒロ大野さん
そして私がイングランドをついて回ったあの時の映像だ。
https://www.facebook.com/BBCAr
メンバーがツアーに使っていたこのオンボロ車に
憲章さんが乗ってインタビューをしていて
後ろ向きのせいもあって車酔いをし
気持ち悪くなって止めてもらって吐いた、
それを当時のポール・シムノンの彼女だった
パールハーバーが水とかお世話をしてくれた。
他の日本人はこの車をタクシーで追いかけた。
大貫さんにこの映像のことをメールしたら
「スマホじゃ見れないのであとで見るね」と
そのまま反応なし。
クリスマスで忙しかったのかもしれないけど
このネタにはすぐに返してくれなきゃダメよ。
ミックの黒シャツ、赤のネクタイ、サスペンダー、ベスト
ミックとポールのポケットチーフ、
ジョーとポールの帽子、黒いコート、黒いバンダナ
自分も一生懸命真似した。
バンドが全盛期を迎えようとしていた1980年の
奇跡のようにカッコイイこの映像が私は一番好き。
ミックの「One,Two,One Two Three」からしびれた。
「クランプダウン」(1980年2月18日)
https://www.youtube.com/watch?
「ロンドン・コーリング」の次のアルバム「サンディニスタ」は
ニカラグアの<サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)>のことで
1979年に武装蜂起したそのサンディニスタに呼応するように
バンドはこのあたりからイメージを
サンディニスタの旗の赤と黒にしていて
それが「16トンズ・ツアー」の映像からも窺える。
サンディニスタのアルバム・ジャケットも
その延長線上にあったから私も日本盤の帯コピーは
<赤と黒のドキュメント>にしたのだが
CD紙ジャケの帯からはカットされている。