ジリオラ・チンクエッティとビートルズを並べて語るのは
メチャクチャ無理のあるこじつけだとわかりつつ語ってみる。
1964年1月末。
16才のジリオラ・チンクエッティはイタリアの国際音楽祭
「サンレモ音楽祭」で「夢見る想い」を歌い優勝した。
まったく同じ時期にビートルズの日本でのデビュー曲
「抱きしめたい」がラジオから毎晩ガンガン流れていた。
私は中学3年生、高校受験の準備の頃だ。
2年後の1966年1月、ジリオラ・チンクエッティは
「サンレモ音楽祭」で2度目の優勝をする。
(ここには何とあのヤードバーズも出ていた)
チンクエッティの優勝曲はおととい書いたように
「愛は限りなく」、日本では3月1日に発売された。
ビートルズは3月にアルバム「ラバーソウル」を発売
言うまでもなく6月29日に来日して大騒ぎになった年だ。
(6月18日、高3の私はフランス・ギャルで東京を日帰りする)
7月20日、「愛は限りなく」チンクエッティ日本語盤発売。
この頃、ビートルズも日本語はないがドイツ語盤はあるように
アーティストが他国の言語で歌うことは珍しいことではなかった。
特にイタリアの歌手の日本語バージョンは多かった。
ミーナなんて日本語だったからヒットしたんじゃなかろうか
と思えるほどだった。
ジリオラ・チンクエッティも日本語盤は多い。
また、日本語詞が付いているとその詞での
日本人歌手のカバーバージョンも多いということで
この「愛は限りなく」も、伊東ゆかり、岩崎宏美
倍賞千恵子、岸洋子、布施明、伊藤愛子、沢田研二
西城秀樹などなど山ほどの歌手がカバーしている。
(「愛は限りなく」だけに関して言えば、弘田三枝子と
ピーナッツがカバーしていた記憶は私にはない)
オリジナルの作家は、サンレモにもチンクエッティと
一緒に出ていたドメニコ・モドゥーニョ。
この人は「ボラーレ」などの大ヒットのある重鎮の歌手で、
イタリアではこのオリジナル・バージョンもヒットしており、
さらに海外では、イヴァ・ザニッキ、シャーリー・バッシー
など歌い手の他にレイモン・ルフェーブルやカラベリ、
映画「バガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」に主演した
デヴィッド・ギャレットのカバー・バージョンもある。
音楽出版社ウハウハだな。
で、色々書いた「愛は限りなく」のカバー、
どのバージョンを聴くか、私ならこれを選ぶ
沢田研二版「愛は限りなく」1975年のTVのようだ。
ネチネチ歌いすぎてはいるが
この頃のジュリーの美しさは筆舌に尽くしがたい。
https://www.youtube.com/watch?
そんな背景で今日これからのジリオラ・チンクエッティのライブ。
「夢見る想い」や「愛は限りなく」を聴きながら
リアルにビートルズもいたあの時代の空気に浸る団塊の世代は
きっと私だけではないはずだ。