株式会社「日本洋楽研究会」は
60才の時、一緒に定年退職した岡田さんと始めました。
洋楽黄金時代の恩恵を思いきり満喫してきた2人が
主に50年代~80年代の<日本洋楽>を
世の中に残していく作業のお手伝いをしようと
2008年に設立し今年で9年目に入っています。
会社なのに「仕事」ではなく「趣味」です
学校のサークル活動みたいなものです。
(文化系のね)
CDの紙ジャケ再発、コンピレーションCD製作。
CDのライナーノーツや雑誌のCD紹介など原稿書きの他に
ラジオの「パイレーツ・ロック」は7年、
テレビもチャボさんのBS番組に半年出させてもらいました。
流行の音楽ストリーミングサービスでは
キュレーターも2年間やりました。
(オヤジ業務としては先がけじゃないかい?)
年一で産能大で若者に講義する体験もさせてもらいました。
一方で、生業ではなくサークル活動ですから
権利のクリアが面倒くさそうとか、
岡田さんも私もそのアーティストが好きじゃないからとか
失礼ながらお断りする仕事もありました。
そんな「日本洋楽研究会」ですが、今月で閉めようと思います。
正確には4月から休眠して、9月末で精算の予定です。
理由は私の健康問題よりも
(もう充分やったよねえ)と岡田さんと話したことです。
そもそも(65才までやって次に引き継ぎましょう)と
始めたサークルです。
それが68才まで伸びたのは単純に毎日が楽しかったからで
レガシーを残すという旗を立ててはいても
実質は洋楽OBのサークル、同好会、コミュニティの飲み会でした。
(日本洋楽研究会は英語表記で「Nihon Yogaku Comunity」)
会社勤めという授業を終えた2人のオヤジが
放課後のクラブ活動を青春のように謳歌してきました。
できたら閉めずに次の人に譲りたいんですけどねー。
岡田さんと野中を無給の顧問にするってどう?
そうなんです、唯一失敗したのは
サークルなのに新入部員が入って来なかったことでした。
普通もっと一生懸命新入部員を勧誘するものなのに
自分たちだけで楽しんじゃってました。
それと、会社を退職する洋楽マンは多いけど
フリーランスのギャラじゃなく
毎月ちゃんとお給料をもらえる仕事がしたいらしいです。
心残りはもう一つあります。
欧米のヒットではなく日本のみでのヒットを含む
「<日本洋楽>大全集」を作ってみたかった、です。
これは権利関係が大変だし発売できないのもあるから
自分だけのために作っちゃおうかな。
今日はこの曲。
「放課後のロックンロールパーティ」ロギンズ&メッシーナ(19
放課後は誰だって塾なんかに行かずに遊びたいのです。
私が初めて付けた邦題でした。
原題は「My Music」、今なら200%邦題は付けないでしょう。
https://www.youtube.com/watch?
こんな少女コミックがあるのを発見。
もしかして作者の方が当時この曲を聞いていたのなら
日本洋楽の冥利に尽きます。