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Channel: レッツゴー!元日本洋楽研究会
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ノヤのこと

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レコード会社の洋楽関係者でこの姉さんを知る人は

もうあまりいないかもしれない。

「こうして野中さんと飲むのは28年ぶりですよ」
「会社を辞める時に飲んで以来か~」


LAに渡って28年。

アメリカでは「YAZ」と名乗り
私は「ノヤ」と呼んでいる。

日本人アーティストの海外ツアーなどの仕事をしている。
今では海外に進出したいアーティストが門前市を成す、
ってのはオーバーだが頑張っている。

そもそもは某社の輸入盤営業から始まった洋楽マンだった。
私に紹介したのはミュージックライフの東郷さんで
「元気バリバリの子がいるけどCBSソニーでどうかしら」
1982年か3年だったと思う。

人事部長に推薦して面接、中途採用された。
いきなりその頃契約した「GIオレンジ」を担当してもらった。
バンドの髪はオレンジ、担当者の髪は赤だった。
CBSらしさが嫌いだった私はアーティストもスタッフも
CBSっぽくないのを求めてた。


彼女がオフィスの中をドカドカと走ると床が揺れるので
「うるさい!」と叱ったりもしたが、
今だったら床が壊れるんじゃないか?(あ、パワハラだ)

いわばヘッドハンティングで私の直接部下になったものだから
「愛人?」なんて露骨な中傷を受けたこともあったと言う。

それでもGIオレンジに全力を注ぎ、そして見事に売った。
当時彼女の英語はまだカタコトだった。

フレディ・マーキュリーなどを担当してから数年後、
アメリカに行くので退社したいと相談された私は
こう言ったんだそうだ。

「いんじゃないかー。でもどうせ行くんだったら
すぐに帰国して業界に戻るようなみっともないことはするな」

渡米してからの出来事を2時間聞いた。

「28年間、しがみついて何とかここまでやってきました」
いやいや、何とかどころじゃない、
去年から新しいプロジェクトも始動しているそうだ。
リタイア後の生活設計もとっくにできていると言っていたが
なんのなんの、この業界大転換期はノヤにとっては大チャンスだ。
少なくともあと10年は引退させてもらえないだろうと思う。


じゃあ今日も「サイキック・マジック(1985年)」だな

何回目かの「夜のヒットスタジオ」衛星中継
この時ノヤは現場、私はフジテレビのスタジオにいた。
「サイティック・マジック」か。


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