ウイルスのために映画館が一斉に営業停止で
https://www.cinematoday.jp/news/N0115253
ヒューマントラストシネマも UPLINK吉祥寺も
シネ・リーブル梅田も休館になり
4月3日に公開したばかりの映画「白い暴動」は観られなくなった。
スプリングスティーンの音楽が重要な役割を果たす映画
「カセットテープ・ダイアリーズ」も公開延期になった。
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たまに日向ぼっこするくらいでひたすら家に巣ごもりながら
数日前にここに書いて何十年ぶりかで聴いた
アラン・メリルのバンド、ザ・リードの
「悪魔がくれた青いバラ」(1968年)がキッカケになって
このところグループサウンズを聴いている。
正直な話、
私は<青春歌謡>と<グループサウンズ(GS)>は得意なのだ。
少なくともヒゲ&ジーンズのアメリカン・ロックよりは詳しい。
1967年、浪人して上京して予備校はすぐやめて
新宿の紀伊国屋の横の喫茶店でボーイのアルバイトをし、
二丁目のロックバーに通い、ジャズ喫茶にGSを見に行っていた。
好きな音楽がカオスだった。
その1967年、コマ劇場のそばに「B&B」という
足跡マークの看板のディスコだったかバーだったかがあって
夏にそこで初めて見たグループサウンズのバンド
「ハプニングス・フォー」と「レオ・ビーツ」のインパクトが強烈だった。
両方とも福岡から上京してきたバンドで
まだデビュー前だったが演奏は他の人気GSバンドよりずっと上手かった。
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「ハプニングス・フォー」の「あなたが欲しい」は
途中までプロコル・ハルムの「青い影」のカバーかと思っていた。
レオ・ビーツはラテンの華やかなバンドだった。
この2つのバンドが揃ってその年の終わりにデビューした時には
「あ、あのバンドだ!」と思ったものだ。
同じような体験を会社に入ってからの洋楽でもしたことがある。
ニューヨークの「マクシス・カンサス・シティ」
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ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、エアロスミス、
ニューヨーク・ドールズなども出ていたクラブで、
そこでデビュー前のディーヴォとスーサイドを見た。
1976年だった(と思う)
変な格好のディーヴォは既にメジャーの香りがしていたが
スーサイドのライブはチェーン振り回したりして怖くて。
(こりゃ絶対ダメだ)と思った。
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それでもスーサイドの方がディーヴォより早く
1977年にレッドスターレコードからアルバムを発売し、
ディーヴォは1978年にブライアン・イーノのプロデュースで
アルバム「退廃的美学論」を発売、これは日本でも話題になった。
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日本のバンドでも海外のバンドでも
まだそれほど知られていないバンドとの出会いが楽しい。
自分が現役の頃はアマチュアバンドや新人バンドのライブの方が
ビッグを見るのよりも楽しかったのは、
こういう若い頃からの性癖みたいなものだったかもしれない。
だからSD(新人発掘セクション)の仕事が合っていたのだろうと思う。
話をGSに戻すと私の手元には教科書がある。
黒沢進著「日本ロック紀GS編コンプリート」(2007年)
キャッチコピーは堂々と「これを超える”GS本”はもう出ない!!」
全118グループのディスコグラフィがカラーで紹介されている。
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https://www.shinko-music.co.jp/item/pid0631501/
1969年に発表された文化放送の番組「GS人気投票」の
最終結果のベスト10はこうだった。
1位 タイガース
2位 テンプターズ
3位 オックス
4位 スパイダース
5位 ワイルド・ワンズ
6位 ヴィレッジシンガーズ
7位 フォーリーブス
8位 ヤンガース
9位 カーナビーツ
10位 ジャガーズ
さあてここでお立ち会いだ、
GSファンならこれ以外にいくつのGSバンド名が出せるか
私はあと30は出るかな。50は・・無理だな。
じゃあ今日は浪人中の私がB&Bで見た2つのバンドを。
「あなたが欲しい」ハプニングス・フォー(1967年)
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https://www.youtube.com/watch?v=hIQd3dX6dVA
「霧の中のマリアンヌ」レオ・ビーツ(1967年)
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https://www.youtube.com/watch?v=_u4SM9yTCIw