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Channel: レッツゴー!元日本洋楽研究会
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青山学院大学陸上競技部OB

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えっ、ホントなの?!

ドッヒャ~~~!!!


「パイレーツロック」収録後の反省会は
箱根駅伝の青山学院優勝の話から始まった。

あの吉田弘さんが青学出身ということはみんな知ってる。
正月に箱根まで応援に行ったということも知っている。
だからみんなで極く当たり前に
「青学優勝おめでとうございます、乾杯!」となった。


しばらく駒大とか東洋大とか順天堂とか早稲田とか
中央学院大とか上武大学とか話してる時に
弘さんがポツッとつぶやいた。


「オレ、箱根駅伝で七区を走った・・・」


0.5秒くらいの一瞬の沈黙があって
その後その場の全員が大声をあげたってわけですわ。

「それ、個人で勝手に走ったって話じゃないですよね」なんて
Kくのさんみたいな質問は誰もしない。
もうそこからずっと番組の話どころじゃない。
弘さんの中学からの陸上競技人生に聞き入った。

「放送陸上の110mハードルで全国1位」
「100mのベストは10秒7、飯島には勝てなかった」
「インカレの走り幅跳び7m36cmで3位」

10秒7とか7m超えとか確かにそれぞれが凄いけど
「箱根駅伝を走ったことがある」ってのが最高でしょう。

「短距離の選手だったが長距離走の部員が足りないからと
借りだされ、予選会も走り、本番は補欠だったはずなのに
当日の選手変更で7区を走らされた」
「TV放送はなかった、ラジオだけだった」
「オリンピック前のたぶん1963年だったと思う」

何十年間も知っている弘さんから
こんな驚愕の事実を一度も聞いたことがなかった。

「別に自分から言うことでもないだろう」
「いやいや、箱根駅伝を走った人なら言うことでしょう」
「記録は区間で確かビリだったけどね」
「いやいや、だからそういう問題じゃないすよ」

その人が出版業界に入って
後に「anan」の編集長として伝説の編集者になるわけだ。
この方、子供時代は子役として映画にも出てるくらいで
生まれた時から既にスターだったのかもしれない。

いやはやとにかく驚天動地でしたわ。
青学初優勝から約10日後で余りにもタイムリー。
写真右側、真ん中が弘さん。



入社試験の面接の時に大学の学部を聞かれ
「陸上競技部です」と答えたのは有名な話。


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