GSを検索していて出くわした音源について書きたい。
「今頃何言ってんの」と言われそうな話なんだけど。
元ザ・フラワーズの麻生レミは「和製ジャニス」と呼ばれ
当時の日本の女性ロックボーカリストの中では際立つ存在だった。
「サマータイム」を歌えるシンガーなんて他にいなかったし。
その麻生レミが、
60年代初めに「麻生京子」の名で日本語で外国曲を歌う
いわゆるカバーポップスを歌っているアルバムを「今頃」聴いて、
相当楽しんだ私だ。
「ハンガリア・ロック コロムビア・イヤーズ コンプリート・コレクション」
()内はオリジナル・アーティスト
1. ハンガリア・ロック(ゲイリー・エドワーズ・コンボ)
2. シャンペン・ツイスト(ミーナ)
3. カッコいい彼氏(コニー・フランシス)
4. 五匹の子豚とチャールストン(フレディ・モーガン&ノーマン・
5. 恋をしましょうwithブルー・コメッツ (ヘレン・シャピロ)
6. のっぽのサリー withブルー・コメッツ (リトル・リチャード)
7. 恋のジェット・コースター(フレディ・キャノン)
8. 太陽よりも彼(デラ・リーズ)
9. いたずらキューピット(ジョニー&ザ・ハリケーンズ)
10. ミスター・ベース・マン(ジョニー・シンバル)
11. 恋のリバイバル(エディ・ホッジス)
12. あたしのベイビー(ロネッツ)
13. バイバイ・ティーチ(オリジナル不明、誰か教えて)
14.涙の乗車券 麻生京子とブルーファイア(ビートルズ)
15.夢見るシャンソン人形麻生京子とブルーファイア(
16.ダイナマイト麻生京子とブルーファイア(ブレンダ・リー)
17.パサディナのおばあちゃん麻生京子とブルーファイア(
18.夢のマリナー号(ベンチャーズ)
19.踊ろよベイビー(ボビー・フリーマン)
20.ミスター・ムーンライト(ビートルズ)
21.霧のカレリア(スプートニクス)
22.恋を抱きしめたい(ビートルズ)
このアルバムに和製ジャニスの片鱗はまだ感じられないものの
曲がポピュラー過ぎて難しい「のっぽのサリー」も「ビー・マイ・ベイビー」も
「夢見るシャンソン人形」
曲によって歌唱にバラつきがあるのは、想像するに、
短い時間の一発録りに近いレコーディングだったんじゃないか。
ビートルズナンバーはノーコメントにしておく。
「のっぽのサリー」はバックがブルー・コメッツで、
1960年から一時期にせよ麻生京子がブルコメの正式メンバーだったと初めて知った。
とにかく、明らかに弘田三枝子を意識している。
東芝の弘田三枝子に対するコロンビアからの回答だったのだろう、
私は洋楽のカバーポップスはそれなりに知識もあった。
名前を挙げられる女性歌手は弘田三枝子を筆頭に、
森山加代子、田代みどり、伊東ゆかり、伊藤アイコ、
安村昌子、梅木マリなど曲名もすぐに出てくる。
が、後に黛ジュンになる渡辺順子やこの麻生京子、
後藤久美子という5才の子供歌手なんかほぼ名前だけ、
その手のコンピレーションのCDで聴いていた程度だ。
それも1曲だけとか。
麻生京子は
1962年、18才の時「ハンガリア・ロック」でデビューした。
オリジナルはゲイリー・エドワーズ・コンボという
イギリスのグループ(私は知らない)の曲で
リストの「愛の夢 第3番変イ長調」をアレンジしたものだった。
訳詞は漣健児。
早速そのオリジナルと麻生京子のバージョンを聴き比べてみたい。
「 The Franz Liszt Twist 」ゲイリー・エドワーズ・コンボ
https://www.youtube.com/watch?
「ハンガリア・ロック」麻生京子
https://www.youtube.com/watch?
デビュー曲にして既にオリジナルに勝っている。
ただ「弘田三枝子と比べても遜色ない」
やっぱ弘田三枝子は天才だったと改めて思い知らされる。
私の個人的な興味は、こんな曲を誰が見つけたかにあって、
間違いなくそれはシンコーミュージックの草野昌一(漣健児)
今から約60年前の1962年(昭和37年)、
欧米のヒットチャートと関係なく世界中の音源の中から
日本で行けそうな曲を選び日本語詞つけ歌う人を決めるなんてい
(順番は逆もあるが)いくらそこにきついハードルがあっても
楽しげな仕事にかかわった草野さん初め関係者の人たちが羨ましい。
件の麻生京子の「ハンガリア・ロック」にしても
原題「フランツ・リスト・ツイスト」にその邦題を付けたのは
リストがハンガリー人だったのと、
リストに「ハンガリー狂詩曲(ハンガリアン・ラプソディ)」があったのに加え、
ハンガリーという当時は(今もかな)
エキゾチックなイメージ、響きを狙ってのものだったのだろうと想像する。
すべてひっくるめて漣さんが決めた「ハンガリアロック」だったはずだ。
(今になっては「ハンガリアン・ロック」かなとは思うが)
そんなカバーポップスがラジオやテレビから溢れ出ていた時代。
いかにも老人の独白だけど、いい時代だな。
私が「ハンガリアン・ラプソディ」と書いたら
すぐにクイーンの「ライブ・イン・ブダペスト」を思い出す人がいるだろうし、
私らみたいな年配の者はカラオケ「東京ラプソディ」だろうし、
そこまで書くなら、じゃあ「大阪ラプソディ」は歌えるんかいみたいな話になる。
そういう、時代も洋邦もゴッタ煮の現在もまた居心地は悪くない。