まだ整理していない昔の箱の中に
ボロボロの1971年のスケジュールノートがあった。
その8月の上の方。
8月6日にグリグリと丸を付け
大文字で「箱根アフロディーテ」
そして「芦の湖畔成蹊学園乗風台」
「12:00~7:00pm」
「9:00AM小田急改札」とある
大学4年生の夏休み、7月に就職も決まっていた。
翌日の8月7日から実家に帰っていたらしく
友人の名前と「市民プール」「橋(スナック)」とか
懐かしい場所が書き込まれている。
気色悪い言い方をするなら
私にもかつて「青春」なるものがあって
その一コマが「箱根アフロディーテ」だった。
初来日のピンク・フロイドが出るということで
放送研究会の仲間を募って行った日本初の大型野外イベント。
待ち合わせが9時の新宿駅だったのは覚えていないが
記憶にあるのは小田原についたら雨。
元箱根までの臨時の直行バスは超満員。
バスを降りてからもかなりのぬかるみの道を歩いたと思う。
メインステージとそこから結構離れたサブステージがあった。
我々グループ全員が同じ行動をとっていたわけではなく
ピンク・フロイドで落ち合う時の場所の目印を確認して解散した。
私は当時つき合っていた下級生と2人でサブとメインを往復してい
(と思う)
どんなバンドを見たのか具体的な記憶はない。
でも1910フルーツガム・カンパニーではみんな揃っていて
「いちご白書」のバフィ・セントメリーの後
ずっと待たされてピンク・
その演奏中にかの有名な幻想的な霧が立ちこめてくるわけだ。
音楽評論的には曲名や演奏やメンバーのことなど書くのだろうが
当時の私はそれどころじゃない、
ただただぼーっと(これがピンク・フロイドか)と眺めていた。
そんな私の青春の記憶から50年。
「箱根アフロディーテ」のピンク・フロイドの映像が発掘され
日本独自企画で8月4日に発売されるという。
「原子心母(箱根アフロディーテ50周年記念盤)」
ディスクは『原子心母』のCDと「箱根アフロディーテ」
そこに
①「60pフォト・ブック」②「箱根アフロディーテ・
③「会場案内図チラシ」④「大阪公演ポスター」
⑤「箱根アフロディーテ・チケット」復刻の特典が付いている。
いきさつや関係者証言、
https://www.110107.com/s/oto/
この1971年は私個人にも或いは音楽業界にとっても特筆
「生のロック」
その中のアフロディーテだったのだが、正直に本音を申すならば、
私の衝撃度は翌月のレッド・
あくまでアフロディーテは人生初体験の大イベントだったようだ。
これが同じスケジュールノートの9月のページ。
まだ馬券なんて買ってることもわかる。
箱根と武道館の違いだったのかもしれない。
「密室の大音響」にやられたとブログでも書いている。
https://ameblo.jp/nihonyogaku/
今日は今回のアフロディーテの新しい映像と
以前の映像の違いを比較した「原子心母」の一部を