私にとってアーティスト・グッズやコンサートの半券や
数は多くないが本人のサインなどは
昔の写真と同じで当時の記憶を呼び戻すキッカケでもある。
部屋の整理をしている時にそんなものが出てくると
一気に思い出が噴出して手と時間が止まってしまう。
生まれて初めてサインをもらったのは中学2年生の1962年、
ポーランドの女子バレーボール・チームのアタッカーの
ヤドヴィガ・マルコだった。
中学でバレーボール部だった私はファンが日本代表に群がるのを横目に
ポーランドチームを出待ちした。
生まれて初めてもらったサインは背の高い金髪の美しい人のだった
高校1年生になって佐々木愛さんにイレこむ(1964年)
高校2年生になるとフランス・ギャルにイレこむ(1965年)
同じ1965年、TVドラマ「カレン」のデビー・ワトソンにイレこむ。
翌年の春、高校2年生終わりの加山雄三(1966年3月6日)は劇的だった。
「エレキの若大将」の直後で「アルプスの若大将」の公開間近の頃。
岩原だったか越後湯沢だったかスキー場のリフトを降りた所に
超々人気のはずの加山雄三がポツンといるのを発見し、お願いした。
学生手帳しか持っていなかったので白紙のページにもらった。
気軽に「はいよー」と優しくサインしてくれたのだが、
何故に私は学生手帳を持ってスキーをしていたのか、記憶はない。
しかし、加山雄三はその後の滑りも超絶に上手くて
カッコいい「スター」だった。
その数週間後の1966年4月、
ビートルズとフランス・ギャルが初来日する2ヶ月前、
渥美電機というレコード店のキャンペーンに来てい
新人歌手古都清乃にレコードとハンカチにサインをもらった。
歌碑まで建った「和歌山ブルース」の大ヒットは1980年だから
その14年前の古都清乃は、まだ十代。
こういうタイプの顔立ちが好きだったのだろう。
愛さんとフランス・ギャルは別格で置いておくとして、
今日はTVドラマ「カレン」のデビー・ワトソンを持ち上げたい。
東京オリンピックが終わり、
ビートルズ旋風が本格的になった1965年。
私は高校1年生の終盤に差し掛かっていた。
1月からフジテレビで始まったこの「カレン」の主役デビー・ワトソンは
年齢が同じこともあり、私のアメリカへの憧れの象徴的な存在だった。
アメリカの高校にはこんな女の子ばかりがいるように思えた。
(
とドラマを観ながら本心でそう悔やんでいた。
実は私は東京の高校を受験して失敗している。
番組が始まってすぐにファンレターを出したら、
意外と早く2月にハガキが届いた。
郵便料金の21円不足はご愛嬌として、このハガキには感激した。
よくあるファンクラブからのサイン入りブロマイドとは違って
筆跡も間違いなく本人自筆の丁寧なものだ。
美しく新しい東京の写真ありがとう。
私は1月16日生まれの16才です。
24才の結婚している兄と6才の甥がいます。
私は1日3時間学校に通い、残りは仕事をしています。
TVのショーを気に入ってくれることを願っています。
私がどんな<新しい東京>の写真送ったのかは覚えていないが
もう(性格良さそう~!)と感激した。
1965年という年はJALパックが初めて発売になった年、
ようやく海外旅行が夢でなくなった頃だからアメリカはまだまだ遠く
遠い星からの通信のように思えた。
嬉しくて嬉しくて写真まで撮っている。
「カレン」からハガキが来たぞ~!と。
デビー・ワトソンは引退も早かったようで
大人になってからの作品は観ていない。
また、主題歌はビーチボーイズだったのに
シングルで発売になったのはサファリーズだったから私は買っていない。
「カレン」ビーチボーイズ
https://www.youtube.com/watch?
しかし、こう自分で書いてきて、
つくづく私は「ミーハー」だったと思う。
わかっている。