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Channel: レッツゴー!元日本洋楽研究会
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洋楽と青春歌謡のハザマに

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一昨日、業界重鎮の折田さんと電話でお話した。

電話受信履歴に大先輩である折田さんの名前を見たら

LINEで「何か用ですか?」とは返せない。

お話するのは久しぶりだったが、お元気そうだった。

 

60年代~70年代の洋楽全盛期にレコード業界を牽引していた人は

折田さんや石坂さん初め洋楽ひとすじで、マニア、研究家に近く、

知識の量も深さもとても敵うようなもんじゃなかった。

折田さんも子供の頃からFEN(当時)で洋楽を聴いていたという。  

私みたいに洋邦とりまぜて大人になっていった人間は

洋楽業界ではむしろ珍しい方だったと思われる。

 

何たって私はキング・レコードとCBSソニーの入社試験の面接で

志望動機を「演歌がやりたいです」と言い、

「好きな歌手は?」の問いには「日吉ミミです」と胸を張って

答えていた人間だ。

 

 

幸い両社とも内定をもらっての配属先は

キングがフォーク部門、CBSソニーが洋楽だった。

人間の運命なんて本当にわからない。

 

付録付き少年誌を卒業して私は1961年に中学生になった。

1961年は弘田三枝子の「子どもぢゃないの」

飯田久彦「悲しき街角」「ルイジアナ・ママ」の年、

松島アキラの「湖愁」もこの年だ。

洋楽は「太陽がいっぱい」がダントツ1位で

「コーヒー・ルンバ」「カレンダー・ガール」「ボーイハント」

「日曜はダメよ」「小さい悪魔」などがヒット、

私の中では無理なく日本語ポップスと洋楽曲が併存していた。

 

 

 

様相が変わるのは中3、

1963年6月の舟木一夫「高校三年生」と10月の三田明「美しい十代」

1964年2月のビートルズ「抱きしめたい」だった。

1964年4月に高校に入学してからは

<青春歌謡>と<ゴリゴリ洋楽>という二面性で3年間を過ごし、

卒業後はグループ・サウンズにのめりこみ

1969年に遂に藤圭子レッド・ツェッペリンの洗礼を受けることになる。

 

 

 

今日は青春歌謡を聴いてみたい。

「青春歌謡」のことは去年の4月に書いている。

https://ameblo.jp/nihonyogaku/entry-12588661434.html

 

その中から「草笛を吹こうよ」浜田光夫、三条江梨子(1963年)

舟木一夫デビューの直前になる。

 

https://www.youtube.com/watch?v=QHTyrLoQoeo

 

三条江梨子は旧芸名は三条魔子だったが

1962年に橋幸夫との共演の映画「江梨子」の時に

三条江梨子と改名した

このくらいはwikiを見なくても知っている)

でもwikiを見たら今はアメリカに住んでいるらしい。


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