セブンシーズミュージックの元常務というより
<キングレコードのイタリア担当>といった方が伝わりやすい
新井健司さんが16日に亡くなった。
私より2才年下の、まだ70才だった。
当たり前だけどアーティストなんかと違い、
個人的に親しい人の、特に自分より若い人の訃報は、辛い。
新井さんと私は、前橋の中学校、高校が同じだけでなく
幼い頃に住んでいた町まで同じだった。
中学3年生の時の私を知る数少ない後輩だが
その頃は1学年750人くらいいた時代だから
私は中1の彼のことは知らなくて
親しくさせてもらったのは同じ業界に入ってからだった。
いつも「先輩」「先輩」と立ててくれた。
同じ年月の同じ日に同じからっ風の中を通学し、
同じ校舎の窓から同じ赤城山を眺めていただろう後輩の悲報は滅入る
ご冥福をお祈りするなんて決まりきった乾いた言葉は書きたくない
他に言葉が思い浮かばない。
以前、政則さんとやっていたラジオ番組「パイレーツ・ロック」に
何回も出てくれてたよなーと昔のブログを探してみた。
2009年のこれが最初「新井健司さんのこと」
https://ameblo.jp/nihonyogaku/
次が2012年の「パイレーツ・ロックにスパーク」
https://ameblo.jp/nihonyogaku/
3回目は「ゆく年と、くる年のパイレーツ・ロック」という
2013年年末最後の放送で、私と2人でしゃべっている
https://ameblo.jp/nihonyogaku/
4回目は2015年「花冷え海賊たちの便り」
https://ameblo.jp/nihonyogaku/
番組は2017年に終わっているからこれが最後の出演だった。
言葉にできないので曲を聴きたい。
以前、新井さんに「イタリアの町でどこが好き?」と尋ねたことがある。
速攻で「ナポリ!」と答えていたのでチンクエッティにでもしようか
と思いながらブログ見て、そうだと思い出した。
「僕、カトリーヌ・
新井さんは嬉しそうに語っていた
カトリーヌ・スパーク「太陽の下の18才」(1963年)で超人気者になった。
この映画の頃、新井さんはまだ中学1年生のはずだから
きっと前橋で心ときめかしていたのだろう。
そんなカトリーヌ・スパークと鎌倉をいつ散歩したのかはわからない。
わからないけれど夢のような出来事にスパークしていたに違いない。
新井さんとカンツォーネやイタリア映画の話でまた盛り上がりたかった。
ご冥福をお祈りしますとしか言えないのが悔しい。
カトリーヌ・スパーク「青春がスパーク」
邦題も新井さん。