クラッシュのジョー・ストラマーの命日は2002年12月22日ですから
もう17年になります。
毎年この時期はジョーを偲びながら
産能大の松尾先生と2人で飲むのが恒例になっています。
今年は都内某所のドイツ・レストラン、
ワインも料理もイマイチではありましたが
静かにクラッシュ話ができればいいんです。
松尾さんと初めて会ったのは2007年、
「猛烈なクラッシュ・ファンの先生がいる」と聞いて
挨拶したのが始まりでそこから数年の間
年一で洋楽史の講義もさせてもらいました。
松尾さんの責任はどんどん重くなり、現在は経営学部長です。
この日松尾さんはすぐにスクラップブックを取り出しました。
「Rocki'On」「Music Life」「音楽専科」他の表紙やグラビアや記事から
海外のパブリシティやフライヤーやチケット半券など。
中で一番目立ったのはこの写真です。
1988年の「Rock Against The Rich Tour」でのもの。
知り合って12年も経つのに初めて見ました。
1988年のこの時、NYに留学中だった松尾さんは
クラッシュ解散から3年経ったジョー・ストラマーが
ラティーノ・ロカビリー・ウォーを率いて活動を再開するの報に
いてもたってもいられず、後先考えずイギリスに飛んだんだそうです。
そして7月28日のスウォンジーからノーザンプトン、バーミンガム、
ノッティンガム、マンチェスター、ブラッドフォード、グラスゴー、
ハル、ニューカッスル、エディンバラ、8月12日のスコットランドの
アバディーンまで、実に16日間11ヶ所のツアーを追いかけた・・・と。
ついて回るファンはほとんどいなかったと。
しかもアジア系の顔は北に行くほどいなかったと。
そんなツアーに日本人の若者が一人ついて回ればジョーだって気づきます。
すぐに親しく声をかけてきてくれて、で、上の写真です。
最後のアバディーンでジョーに言われました。
「明日の最終公演、スウェーデンのフルツフレードにも来るか?」
もう大学に戻らなければいけなかった松尾さんは涙を飲んでそこで別れました。
今でも彼は言います
「あの時、最終公演のフルツフレードにも同行してたら
もっと人生は変わっていたかもしれませんね」
いやいや、11ヶ所もついて回って充分人生変えられてますって。
そうじゃなきゃその年になってその立場になって
まだクラッシュなんて言ってるのは世間一般では考えられないです。
うちの奥さんは松尾さんと私の写真を見て「兄弟みたいだ」と言います。
松尾さんの奥さんは「同じ匂いがする」と言っているそうです。
全然似ていないのに。
先日の大貫憲章さんのトークイベントで
松尾さんはある人から「野中さんですよね」と聞かれ
「違います、あの人がそうです」と答えたそうです(笑)
2人で自分にとってのクラッシュをたくさん話しました。
「ジョーの生き方は真似できずに普通の人生送ってるけど
普通にノーマルだからこそエクストリームが理解できるんじゃないか
そこに存在価値があるんじゃないか
クラッシュを聴かなかったら今の自分もいないから」
このへんは確かに同じ匂いかもしれません。
松尾さんが行けなかったスウェーデンのフルツフレードのライブから
「Ubangi Stomp」(1988年8月13日)