昨日の政則さんの「ビッグ・イン・ジャパン」に賛同の意味で
へそ曲がりA&Rが<非ビッグ>に傾倒していた思い出話をしたい。
1980年代半ば、CBSソニー営業のヘッドクォーターにいた平郡さんに
「営業のミットめがけて豪速球を投げて来い!」
CBSソニー洋楽の責任者ならば堂々と本道を貫けと
ナックルみたいな変化球ばかり投げてくるんじゃねーよと
彼は言いたかったのだ。
EPICからCBSソニーに戻ってからの私が
営業とイニシャル数字の交渉をしていたのは
ウィリー・ネルソンとかビースティ・ボーイズとか
ANAとかポイズンとかリラティビティ・コンバットで、
商品も缶入りやTシャツ付きやコンサートチケット付きなど、
果ては日本人のMELONや本国発売のないGIオレンジだったりしてたので
営業としては(もういい加減にしろ!)の気分だったのだろう。
でも私はこういう気分でいた・・・
(ジャーニーやビリー・ジョエルやスプリングスティーンなんてのは
オレが言わなくたって誰が責任者でも売れる、
そんなビッグをやるのより楽しいのは無名のこっちだ)と。
今にして思えばそれは意識はしていないものの
<日本洋楽><ビッグ・イン・ジャパン>をめざしてたということ
だったかもしれない?とは言っても、
CBSソニーはメジャーの会社であったから
こういう私の偏屈なスタンスは1990年の人事異動に結びついたようだ。
極めつけは幻の「ガールトーク・プロジェクト」だっただろう。
時は1986年か87年か88年か、まあそのあたり。
NYにセルロイドレコードというインディーズで
ヒップホップの魁ともなった先鋭レーベルがあり
そこに「ジャン・カラコス」というフランス人の名物社長がいた。
社長なのにいつも着たきり雀のヘロヘロおやじだった。
この人のことは10年前のブログにも書いてる
https://ameblo.jp/
そのジャン・カラコスに企画を相談した。
女性ダンス・コーラス・アイドル・グループをつくろうと。
グループ名は「ガールトーク」
私のイメージとしては、ノーランズよりヒップホップのテイストで
全員が激しくダンスの踊れる4人組。
チャーリーズ・エンジェル風にしちゃいけない、
年齢は20代の白人で小柄な子3人に最年少のヒパニックの子1人。
トータル・プロデュースはカラコス、原盤もセルロイドでいい。
CBSソニーがリクープ対象として制作費はバンスする。
アメリカで発売してから日本で出
・・みたいな、カラコスにとってはウハウハな条件のはずだった。
「OK、ガールズに心当たりがあるよ」
「オーディションする?」
「いや、オレの秘書と彼女の友だちが踊れる」
「おいおい、その彼女は歌えるのか?」
「彼女はダンサーだ。ノリ、レコーディングは誰かに歌わせればいい。
ライブはリップシンク。いずれ1人でも歌えるようになったら
他のメンバーはどんどん若い子に変えていくんだ」
「ビル・ラズウェルがプロデュースしてくれないかな」
「いや、これはオレがやる。」
まるで悪徳プロダクションの社長みたいなことを言ってた。
実はカラコスは業界やアーティストと色々あって、
いいレコードはいっぱい出してたのに
結局会社をたたんだか人に譲ったかしてフランスに逃げ帰り、
このプロジェクト話も消えてしまう。
でもこのオヤジ、後にジプシー・キングスを当てるんだから
しぶとくて悪くてそのくせ企画とセンスは天才的だった。
候補楽曲の打ち合わせまでで幻に終わった「ガールトーク」
もし当たってたら私もチープ・トリックの野中ではなく
ガールトークの野中になっていたかもしれないし
逆に外して会社に大きな損害を与えてたかもしれない。
どのみち、洋楽王道の人にくらべたら所詮私は外道だったんだと思う。
だって豪速球の投げられない投手なのだから。
今日は、ガールトークの担当にしようと思ってたKさんと
その頃一緒に頑張ってた
ドイツのヒューバート・カー「エンジェル07」でも聴こう。
これも平郡さんにとっては変化球だったに違いない。
https://www.youtube.com/watch?