私が就職したのは1972年。
行きたい放送関係は学校推薦がもらえなくて受験すらできず
じゃあレコード会社にでもするかと、動機はいい加減だった。
学生時代にハマっていたアーティストが
レッド・ツェッペリン、シカゴ、藤圭子、日吉ミミ、
天地真理だったから「日吉ミミのいるキングレコード」と
「シカゴと天地真理のいるCBSソニー」の2社を受けた。
希望を言わせて頂けるなら演歌かロックを売りたいですと面接で答
子供の頃から私は洋邦ともに聴いてきた。
漣健児の日本語ポップスから始まり
中学ではラジオのアメリカン・ポップスとTVの青春歌謡
高校ではビートルズ初めとするリバプールサウンズ
フランスギャルのフレンチポップスやカンツォーネ、
浪人してタイガース他のグループサウンズに熱狂し
吉田拓郎、そしてニューロックの嵐に遭遇した。
このへんは団塊の世代はみな同じだろう。
ただ、私特有かもしれないと思えるのは
個人的に人生で初めて好きになった「流行歌」は
1958年(昭和33年)の平尾昌章「星はなんでも知っている」
石原裕次郎の映画「嵐を呼ぶ男」で始まった1958年は
4月に巨人の新人長嶋が金田に4三振をくらい
秋には皇太子妃決定でミッチー・ブームが起きていた。
そんな年、小学4年生の私にとって
「星はなんでも知っている」のセリフ
(キッスしないでいられなかったんだ)が
すさまじいインパクトだったのは想像に難くない。
加えて平尾昌章というロカビリー歌手の
他の歌謡曲の歌手と違う甘いというか鼻声というか
<質の違う声>
そこが理屈なく子供心に単に気にいっていたのだと思う。
それがカントリー&ウェスタンの唱法の影響だったとか
私にわかろうはずもなく、ただ続いた北原謙二、守屋浩、
佐川ミツオ、飯田久彦、下って沢田研二までの鼻濁音の発声
(こじつけでロビン・ザンダーまで入れてもいいか)
私が好きになる男性歌手の声の原体験は平尾昌章にある。
だからそんな理由で私は作曲家平尾昌晃のヒット曲より
歌手平尾昌章のとりわけ「星はなんでも知っている」がフェバリットだ。
同時にこの曲は作詞家水島哲さんのデビュー作で
西郷輝彦の初期作品も氏のペンだったこともあり
レコード会社に入って水島さんこと安部さんと初めてお会いした時は
漣さんこと草野専務と会った時と同じくらい緊張したのを覚えている。
「星はなんでも知っている」(1958年)
https://www.youtube.com/watch?
その平尾昌晃さんが昨日亡くなった。
http://www.asahi.com/articles/