1969年に同じ大学の同じサークルの1、2、3年生だった
特に仲の良い現老人たちは卒業から40数年過ぎた今も
毎年一度会ってこうして飲む会をやっています。
1969年という年は
東大の安田講堂の攻防戦から始まった年で
その支援に行ったクラブの仲間も多い中
この人たちはご覧のように見るからにノンポリだから
大学がロックアウトされ授業のないのをいいことに
毎日遊んでいました。
「Oh!モーレツ」の小川ローザの年です(このシングル持ってます)
石打スキー場で2泊3日の麻雀をやりました。
徹マンして昼間は寝てました。
民宿のオヤジに「あんたたちスキーはいつやるの」と言われ
「麻雀しに来たんですよ」と答えてスキーはしませんでした。
伊豆や蔵王や野反湖などの合宿で遊びました。
そこでは大人数でもできる新しい遊びをいくつか開発しました。
たとえば<10人シャープさんフラットさん>
10人がせーの!で同時に思いついた歌を歌います。
解答者2人が10人を回って曲名を当てていくゲームです。
これは問題の度に出題者の声が大きくなっていくため
そのやかましさにすぐクレームが来るので夜はできません。
今から思えばセクハラまがいもありましたが
最近の慶応や千葉大なんかとは違って
女子に「幼稚園じゃあるまいしばっかじゃないの」と
言われる程度でしたから
女子の参加が減ることもありませんでした。
そういう遊びの中心人物だった人が亡くなって
来年で10年になります。
区切りに何かイベントやろうとこの日は打ち合わせました。
言い出しっぺは先日家宅捜索を受けた元広告代理店で
~博などを担当し定年まで深夜も働いていた男です。
イベントテーマは<偲ばずに笑って歌う会>にしました。
ホテルの宴会場で数十人での大カラオケ大会をやります。
当時のフォーレターワードや笑えるエピソードはアリだけど
しんみりと偲ぶ挨拶は禁止。そういう表情も禁止。
同窓会によくある最後の校歌も、もちろんナシです。
で、打ち合わせの後の二次会はその練習です。
カレッジ・フォークやGSで一巡りしてから
クレイジー・キャッツの「無責任一代男」で大騒ぎ
そして聴かせる内山田洋とクール・ファイブの
「そして神戸」
この流れだと私は「アイ・フォート・ザ・ロウ」は歌えないし
10周忌の人の十八番だった舟木一夫を。
イベント当日のエンディングは「学園広場」「修学旅行」
「君たちがいて僕がいた」から「高校三年生」へと
舟木一夫メドレーで一気に盛り上げて、
最後の最後にその「洋平さん」作詞作詞の幻の歌
「いそぎんちゃくの唄」の全員アカペラ合唱かなと考えている私です。
「ひ~らいたり閉じたり、ひ~らいたり閉じたり♪」
幹事をやる仲間たちも開いたり閉じたり実は色々です。
カテーテル治療をしてステントの入ってるヤツ
ラジウムを埋め込んでるヤツ
築地で手術して命拾いをしたヤツ
笑って歌う大切さはこの人たちからも教わりました。
早稲田大学放送研究会音楽部のほぼ同期の仲間たち。
「仲間たち」舟木一夫(1964年)
東京オリンピック&ビートルズ「抱きしめたい」の年