森やんの還暦は驚かないが
PUFFYが41才と42才と聞くと歴史を感じる。
2人ともソニーの新人オーディション部門SDの出身だ。
昨夜のTVで2人が出身オーディションについて語っていたので
スタッフ視線からPUFFYについて少し追加しようと思う。
1993年、SDは3つのオーディションを行った。
「SMEオーディション」という何でもアリの大型百貨店型、
「CMJオーディション」という海外をめざすロック専門のブティック型
「ちょっとそこまでオーディション」というコンビニ店型
大貫亜美は「SMEオーディション」にバンドでエントリーしてきた。
予選を辛うじて通過したバンドはプロになる意識が乏しくて
最終会議では落選の意見が多数だった。
その場で担当者のYこたさん(後にモッズのスタッフになる)が
「あのヴォーカルの子は絶対に残すべき」と強く主張したことで
本選は<大貫亜美>名義のソロで出場した。
吉村由美は「ちょっとそこまでオーディション」
このオーディションは、現在私と一緒に日本洋楽研究会をやっている
岡田了さんがSMAにいた時に持ち込んできたものだ。
手軽に楽な気持ちで来てよ、と歌の審査も演技の審査もなく、
面接と遊んでるところを見るだけの廉価なオーディション。
ところがそれが<歌の審査のない歌手オーディション>と
新聞に取り上げられ、TV取材まで入ることになった。
(古着屋に置いてあったチラシを見て賞金稼ぎのつもり)で応募した
吉村由美は(東京からどこかに連れて行かれた)と言っていたが
それは埼玉の「森林公園」で行われた決選大会。
(テニスやパターゴルフしているところをオジサンが見てた)
のはその通りで、そのオジサンたちのボスがこの私だった。
由美も亜美と同じように
(東京旅行で観光ができて楽しかった)と言ってたくらい
何としてでもプロになるんだという欲はなかったため
何としてでもプロになるんだという欲はなかったため
後に女優になる佐賀の子がグランプリになり
吉村由美は準グランプリだった。
吉村由美は準グランプリだった
また、森林公園にも行けない予選落選組の中から
Iしいさんが契約した篠原ともえが1995年に先にデビューしても
Iしいさんが契約した篠原ともえが1995年に先にデビューしても
亜美と由美はなかなかソロデビューのチャンスをつかめずにいた。
そんな時に<オーロラの救世主>奥田民生が出現したわけだ。
(お、自分でも上手いな、このシャレ)
そのPUFFYがデビュー20周年を迎え
昨日4月6日、ベストアルバム「非脱力派宣言」を発売した。
ワーナーに移籍してたんだね。
20周年記念のツアーもある。
最終公演は(野音じゃないよ)と明記してある。
映像は「アジアの純真」(1996年)Ami Yumi Emi バージョン
5年前の15周年記念につくったもの、良くできてる。
5年前の15周年記念につくったもの、良くできてる。
Hらださんみたいな役まわりのオジサンがいい
実はPUFFYとはボストンで再会することになるのだが
話が長くなるのでそれはまたいつか。