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We ask that you respect the family’s privacy during their time of grief.
とあるから、アンジーがどう動くかみたいな下世話な話題はやめて
デヴィッド・ボウイなら私はやっぱりモット・ザ・フープルを話したい。
私が洋楽ディレクターとして最初に担当したのがモット・ザ・フープルで
このバンドを担当したことから新しいバンドが回ってくるようになり
それが後のエアロやチープにつながっていくので
モットは個人的に思い入れの強いバンドだ。
モット・ザ・フープルは鳴かず飛ばずで解散寸前だったところを
デヴィッド・ボウイにこの曲をもらい、救われる形で復活した。
文字通りモットにとってボウイは命の恩人だったわけだ。
文字通りモットにとってボウイは命の恩人だったわけだ。
「すべての若き野郎ども」(1972年)
一躍スターダムにのし上がり
クイーンを前座にNY公演までやったモットが解散した理由が又
ボウイのバンドのミック・ロンソンがモットに加入してきたことだった。
このあたりのボウイとモットのイアン・ハンターの因縁も面白い。
ここで唐突に<ボブ・ディラン>なんだけど
実はデヴィッド・ボウイもイアン・ハンターも
ボブ・ディランの影響をモロに受けている。
初期のボウイはディランみたいだし
イアン・ハンターはモットのオーディションで
「ライク・ア・ローリングストーン」を歌った。
通説ではビートルズも中期からディランの影響を受けている。
他にもそんなイギリスのアーティストは本当に数多い。
時代を席巻したブリティッシュロックの原点の一つに
ディランの影がどうしても窺える事実が前から不思議で
元ディラン担当の菅野ヘッケルさんに聞いたら簡単に
「それはディランが凄いからでしょーー」と言われてしまった。
そうかもしれないけどさあ~
そうかもしれないけどさあ~
ヘッケルさんはモットの初代担当ディレクターでもあって
「すべての若き野郎ども」の邦題はヘッケルさんだ。
クラッシュのミック・ジョーンズが
モットのファンだったのも有名な話で
クラッシュの2枚目のアルバムには
「All The Young Punks」という曲がある。
私の付けた邦題はもちろん「すべての若きパンクスども」だ。
今日の映像はフレディ・マーキュリーのトリビュートコンサート
1992年のウェンブリー・アリーナ
デヴィッド・ボウイ初め、オールスターがみんな出てる
「すべての若き野郎ども」「ヒーローズ」
https://www.youtube.com/watch?v=yJ6T9uYImnQ
いつか誰かにビシッと
<ブリティッシュロックにおけるボブ・ディラン>を
ご教示いただきたいと今でも思っている。
(ボブ・ディラン今年も来るんだね~行かないけど)
(ボブ・ディラン今年も来るんだね~行かないけど)