この方がバリバリに活躍していた70年~80年代半ばは
まさにラジオの全盛期で、洋楽の黄金時代ともピッタリ重なる。
要さんはポピュラー音楽に造詣の深い人だったから
当時のレコード会社の宣伝マンにとっては
当時のレコード会社の宣伝マンにとっては
そう簡単には攻略できない難攻不落なディレクターだった。
「パック・イン・ミュ‐ジック」はもちろんのこと
看板番組「今週のポップス・ベスト10」を担当し
ここから次々にヒット曲が生まれた。
パーソナリティは八木誠さん、宮内鎮雄さん、小島一慶さん。
実はこの藤田要さんは私の大学のサークル
「放送研究会 / 音楽部」の直先輩になる。
他にも「放送研究会 / 音楽部」の先輩にはLFの亀淵さん、
QRの神蔵さん、コロンビアの本間さんなどがいて、
後輩にはPatiPatiの吾郷さん、ワーナーの宮治さんなどがいる。
同じサークルの一つのセクション出身としては数が多い。
でもこのメンバーがそれで仕事をしたことは一度もなく、
逆に職場ではそれは話題にすらしなかった。
みんな仕事にそういう人間関係を持ち込みたがらなかった。
みんな仕事にそういう人間関係を持ち込みたがらなかった。
要さんとも昨日初めて放送研究会話をした。
「K大学だったらつるんで派閥にでもなったんでしょうね」
で、藤田要先輩の「パイレーツロック」放送は3月8日。
「今週のポップスベスト10」を初めて担当した
1973年の年間チャートを基に曲を紹介する。
1973年の年間チャートを基に曲を紹介する。
そこから一曲、1973年の番組年間チャート第9位
ストーリーズ「ブラザー・ルイ」
スタジオ見学のぱくちゃんが「え~!」と声をあげたほど意外な曲。