それは検索すると68年だったり69年だったりするのだが
体感ではシカゴとレッド・ツェッペリンと高倉健は
ほぼ同時期だったと記憶している。
ほぼ同時期だったと記憶している。
大学はバリケード封鎖されて授業もなく
活動家でもナンパ学生でもない中途半端な私は
シカゴとツェッペリンを轟音で聴いて血をたぎらせ
文芸座のスクリーンの「健さん」が
自分でも何だかわからないうっ憤を晴らしてくれるのを
みんなで「ヨーシ!」「異議ナーシ」と声をあげてた。
ビートルズはどう見てもアイドルでデビューしていたが
シカゴとツェッペリンと高倉健とそこに藤圭子を加えれば
最初から彼らはアイドルではなくて私の<スター>だった。
1970年、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地に向かう時に
車の中でみなで「唐獅子牡丹」を歌ったと何かで読んだ。
71年の入社試験で「君の座右の銘は何ですか?」と問われ
「義理と人情です」と答えた。
「は?」みたいな反応をされたのも覚えている。
あの面接官は今から思えば当時のA部長だった。
「幸せの黄色いハンカチ」も「鉄道員」も「ブラックレイン」もいい。
でも私には昭和残狭伝の健さんのインパクトがあまりにも強いのだ。
バンドも俳優も立ち姿、なんだってば
バンドも俳優も立ち姿、なんだってば