ビートルズが来日した1966年は
2年前とは違って日本中ビートルズ・ブームだった。
この年の日本の音楽はどうだったかというと
昨日書いたビートルズと同期の西郷輝彦は
ビートルズが武道館で演奏した7月1日に
「星のフラメンコ」を発売している。
舟木一夫はレコード大賞狙いのような「絶唱」を8月に
橋幸夫はまさに大賞曲の「霧氷」を10月に発売した。
私の青春歌謡時代がこの年に終わった。
もうひとつがエレキの流れ
加山雄三がベンチャーズとビートルズに対する
日本代表選手みたいな位置にいた。
実に1965年と66年は加山雄三ブームでもあった。
映画「エレキの若大将」は当時の男子高校生必見だったが
今から思えばこの年の「君といつまでも」の大ヒットが
皮肉にもブーム終焉のテーマだったような気がする。
更にもう一つの大きな流れ
エレキの次のグループサウンズがこの年から記憶される。
ブルーコメッツやスパイダース、ワイルドワンズなどが
「エレキ+歌」でヒット曲を出す。
「青い瞳」「夕陽が泣いている」「想い出の渚」「いつまでもいつまでも」
私はと言えばビートルズからそろそろ離れ始めた年
フランス・ギャルの公演を東京まで観に来た年。
田舎の高校3年生はすっかり東京に目が向いていた。
今日はビートルズ来日の1週間前、
1966年6月23日に発売されたこれ。
どこのカラオケボックスにも「チェッチェッチェッ」や
「恋のメキシカンロック」は必ずあるのにこれはない。
「恋のメキシカンロック」は必ずあるのにこれはない。
ハーブ・アルパートとティファナブラスの
「蜜の味(Tast Of Honey)」が代表曲といわれる
アメリアッチのリズムの歌謡曲。
「蜜の味(Tast Of Honey)」が代表曲といわれる
アメリアッチのリズムの歌謡曲。
橋幸夫「恋と涙の太陽」