先日書いたニッポン放送「ベスト・ヒット・パレード」の
1964年1月31日のチャートには
「ビートゥルズ」の「
トロイ・ドナヒュー、ジョニー・シンバル、リック・ネルソン、
ボビー・
日本の洋楽チャートもアメリカン・
この日はビートルズがそこに斬り込んだ最初の出来事として
記録されるべきという
中学3年生ももうすぐ終わりの入試&卒業準備という時期だった
個人的にはこのチャートで言えばベルベッツ、ロイ・オービソン、
今日はこのチャートでは10位のジョニー・ティロットソンだ。
ジョニー・ティロットソンという名前はラジオから聴き取りできなくて
「キューティー・パイ」の1963年6月14日の初登場以来
名前の記述は「ジョニー・シロプソン」「トランプソン」
「
8月の終わりにようやくティロットソンになっている。
60年代に活躍したアメリカの男性歌手で
Top10ヒットも多く「アメリカン・
日本では「キューティー・パイ」「ポエトリー(イン・
などのヒットの他、日本語の「涙くんさよなら」
上記男性シンガーと同じように人気はあったが
ビートルズの正反対に位置しているイメージの歌手として
自分の好みとは別にその存在は強く記憶している。
日本でちょっと変わった経過を辿った歌手だった。
そんなに出ていたのかと思えるほど数多くのシングル盤が発売されて
レコード会社もプッシュしていたということだ。
ところがそのレコード会社だが日本の発売元が2~3年の間に
キング、コロンビア、日本グラモフォンと転々としている。
本人のレーベル移籍とそのレーベルと日本発売元との契約期間によ
そのために2社から別のシングル盤が新譜として同時期に発売にも
(最終的にもう一度日本コロンビアが契約しているようだ、定かではない)
洋楽の世界ではこのようにアーティストの移籍やレーベルの契約によ
日本での発売元が変わる例はベイ・シティ・
CBSソニーから東芝レコードへの移籍のように日常的によくある話なのだが
ジョニー・
しかも新録と旧録が同じ時期に発売になったなんて事態は珍しい。
ラジオ局も戸惑ったはずだ。
そもそも彼はアメリカで1958年にデビューし61~62年にヒットを出していたものの、
日本でのデビューは1963年の「キューティー・パイ」
「プリンセス・プリンセス」
63年10月に本国で彼がMGMに移籍したため以降の新譜は日本コロンビアに移る。
でも旧音源はキングに残っていたから
64年は両社から新譜として
65年にはMGMの日本発売権がコロンビアから日本グラモフォンに移るなんてことになる。
その時の詳しい事情と状況は私にはわからない。
ただ、
これについてはもしかするとコニー・
日本語バージョンをたくさん歌っていたのと関係あるのでは?と
わからないが「涙くんさよなら」
日本語バージョンはこんなにある、らしい。
もっとあったらごめんなさい。
「涙くんさよなら」「ナイス・ガイ・ジョニー」「行かないで」
「ユー・アンド・ミー」「バラのため息」「恋のヨット」「カントリーボーイ」
「バラが咲いた」「僕らの世界」「僕でいいなら」(順不同)
これらの曲が全部日本語で歌われていたようなのだが
知らない曲もあるので本当にそうだったかは断言できない。
しかし、ジョニー・ティロットソンが色々な言語での
バージョンを歌っていたのは間違いないから
本当だとすれば日本の担当ディレクターは大変な作業だったろうと
中には日本制作の楽曲もある。
「ユー&ミー」は1966年3月16日付けの「べスト・ヒットパレード」で
「テイスト・オブ・ハニー」ティファナ・ブラス
「デイ・トリッパー」ビートルズを抑えてなんと1位。
作詞:高崎一郎、作曲:鈴木邦彦だった。
こういう発想は後のスリー・ディグリーズの
「苦い涙」(作詞:安井かずみ、作曲:筒美京平)と同じなのだが
ジョニー・ティロットソンはほとんど歌謡曲の外国人歌手みたいだ。
私のイメージする「日本洋楽」とはどこか違う。
「ユー・アンド・ミー(日本語)」ジョニー・ティロットソン
https://www.youtube.com/watch?