ザ・クラッシュ5枚目のアルバム
「コンバット・ロック」40周年を記念した特別盤が5月25日に発売になる。
<商品の詳細説明:ソニーミュージック>
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<商品の動画>
https://www.youtube.com/watch?
「コンバット・ロック」はクラシュの表現の多様化の
試行錯誤の末にたどり着いた1982年時点での選りすぐられた作品集で
ある意味ここが4人の限界だったとも言える。
40年経った今改めて聴くと初めて聴いた時よりも遥かに聴きやすい。
時代を先取りしていたバンドだったことがよくわかる。
クラッシュは1983年のミック・
実はクラッシュが音を立てて崩壊していったのは
このアルバム発売の直前に起きたトッパー・ヒードン解雇の時からだった。
トッパー・ヒードンのドラムがクラッシュの進化する音楽の
多様性を支えていたと私は思っている。
ザ・クラッシュはジョー、ミック、ポール、トッパーの4人でなければいけない。
だからまさにこのアルバムが彼らの終わりの始まりだったわけだが
それにしてはこのアルバムが全英2位、全米7位と、
彼らのキャリア最大のヒットアルバムになったのは皮肉としか言いようが
特にアメリカでは今でもクラッシュは「ロック・ザ・カスバ」と
「ステイ・オア・ゴー」の2曲しか知らない人が多いはずだ。
アメリカ人にとってはクラッシュは決して「白い暴動」や
「ロンドン・コーリング」ではないのだ。
1982年、クラッシュはそのような世界的な成功を得たにもかかわらず
終局に向かって突き進むことになる。
そんなクラッシュが終わる前に来日公演が行われたのは
日本人にとって僥倖だった。
<「昭和40年男」の特集記事の扉ページ>。
4人揃って作った最後のこのアルバムの特別盤の
ライナーノーツ末席に私は情緒的な文を寄稿させてもらった。
「ザ・クラッシュのレクイエム」
このアルバムをもって終焉を告げたクラッシュ。
私にとってこの「コンバット・ロック」は
世界一美しかったバンド、ザ・クラッシュの葬送曲に他ならない。
この4人だからクラッシュだった。
そんなクラッシュがいなくなって今年で40年になる。
「権利主張」ザ・クラッシュ(1982年)
アルバムA面の1曲め。
「権利を知れ」が原題だが、この邦題も
英国盤をアレンジした日本のシングル盤ジャケットも
私は気に入っている。
今回の特別盤にはこの曲の別バージョンも収録されている。
https://www.youtube.com/watch?
この歌詞は40年経った今も色褪せていない。
You have the right not to be killed
Murder is a crime!
Unless it was done by a policemen or aristocrats