何回かこのブログで紹介している
友人の佐々木雄三さんは
大学の放送研究会の後輩であり、
元「ポリスターレコード」であり、
グループサウンズの評論家であり、ライターであり、
エレキギターの先生であり
小田原の曹洞宗「大雄山願成寺」の住職だ。
その佐々木さんから先日送っていただいた
「大雄山願成寺と町田村の人々」をようやく読み終えた。
小説と違って、郷土史とか由来書などの歴史書は
大体焦点を絞ったミクロで書かれているので、
人の名前や古い元号をそのまま読み飛ばすと
単なる資料になってしまってすぐに飽きる。
だから度々検索し、その時代の背景を咀嚼し、
自分なりに注釈を加えながら読んでいくので時間がかかる。
特に友人のルーツにかかわる本なので今回は丁寧に読ませて頂いた。
まず佐々木さんの「願成寺」は、応永三年の創建。
(ほら、早速出てきた聞いたこともない元号)
応永三年は1396年で、室町幕府の3代将軍の足利義満が
南北朝を統一した後あたり。
足利義満って金閣寺建てたり明と貿易したりと教科書に載ってる人。
足利尊氏の孫。
そんな昔に足利氏満なる人物が建てた寺だという。
いわゆる古刹ってヤツだ。
だけど、足利氏満ってのも知らないじゃん。
なのでwikiを見るのですわ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E6%B0%8F%E6%BA%80
この人も足利尊氏の孫で、第2代の鎌倉公方だって。
簡単に言えば、将軍は京都にいて親族が関東を仕切っていた時代。
鎌倉公方とか古河公方に分裂した関東管領の上杉がからんできて、
実はこの時代が日本史で一番わからない。
北条早雲が登場するまでの関東の歴史は色々入り混じって
本当に面倒くさい。人名も似てるし。
そういう面倒くさい時代に佐々木さんの願成寺はできたということだ。
創建以降の願成寺は何回も自然災害や乱に巻き込まれ
崩壊したり焼失したりしてその度に再建され
北条の時代と徳川の時代と維新を生き延びて現在に至っている。
その歴史は古文書にも残っていてこの本に詳しく書かれているが省略する。
そんな今から624年も昔にできた寺の住職が
自分の友人ってことがすごくないすか。
しかもその人はエレキの評論家って、それが面白くないすか。
そんな歴史ある寺の住職がかつて書いたコラムを紹介する。
1965年のフジテレビ「勝ち抜きエレキ合戦」のこと。
624年に比べればわずか55年前のできごとではあっても
よくこんなことを調べるものだ。
しかも私より一世代下の1957年生まれなのに。
https://segask.jp/article/detail/387
もう一つ寺内タケシについての考察。
http://music-calendar.jp/2017011701
なので今日は願成寺佐々木住職にこれを贈ろう。
「レッツゴー運命」寺内タケシ(1967年)
このLP、ワタシ持ってます。
https://www.youtube.com/watch?v=EusNsFS6LmI