毎年、中学のクラス会が開かれる故郷の前橋はかつては城下町で
元旦の「ニューイヤー駅伝」のスタート&ゴール地点になる
群馬県庁は前橋城(=厩橋城)の本丸跡に建てられています。
二の丸跡に市役所が、三の丸跡に地方裁判所が建てられ
そういう開発の結果、城址はほとんど壊されてしまい
今では地元民も前橋城のことを語ることはあまりありません。
クラス会の会場は県庁庁舎内の日本料理店でしたので
その前にそれでも少し残る前橋城の土塁を散策しました。
二の丸門から高浜門にかけてです。
訪れる人がいないため草がボーボーで寂しい限りです。
今、お城が人気なんだそうです。
日本城郭協会というところが
2006年に「日本100名城」を選定したことでブームになり
20017年の「続日本100名城」によって爆発したんだとか。
もちろん前橋城はここから外れています。
かつては上杉謙信が関東侵攻の拠点にして
武田信玄、北条氏政と利根川を挟んで対峙した城です。
でもそういう歴史は県庁のすぐ近くの
私の通った小学校でも教えてもらわなかったと思います。
クラス会の出席者の中に何年ぶりかで参加の女性がいました。
彼女の実家は120年以上もの歴史を持つ和菓子屋さん。
そこの銘菓に「下馬将軍」という鶏卵せんべいがあります。
「下馬将軍」とは酒井雅楽頭(=酒井忠清)のこと
4代将軍徳川家綱時代の大老で前橋藩藩主。
上屋敷が江戸城大手門前の下馬札(馬を降りなければいけない)の
近くにあったことからそう呼ばれているそうで。
そのくらい権力があったのでしょう。
この人、例の「伊達騒動」に一役買って悪役イメージがあります。
伊達騒動って「樅の木は残った」のあの事件です。
それでも前橋では善政を施した殿様とされています。
その殿様にちなんでこの菓子の名前は付けられました。
だけど、地元民でも今じゃその由来を知らない人が
ほとんどじゃないかと思います。
「下馬将軍」の彼女に「明日駅でお土産に買うわ」と
調子のいいこと言っておきながら、翌日は電車の出発時間
ギリギリになってしまい買いそびれた私でした。
来年も来られるといいなと。来年は買おうと。
7月4日からここでは七夕まつりが開かれます。
普段はガラッガラの町が人でいっぱいになります。