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Channel: レッツゴー!元日本洋楽研究会
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曽祖父は野中正則

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このところ自分のルーツを調べるのがマイブームになっている。

 

私は信州の佐久に住んだ数年間を除き

高校卒業までを前橋で過ごしたから

故郷は前橋ということになるが

結婚するまでの本籍は高知県だった。

 

高知県の中でもメチャクチャ田舎の田舎で

簡単に言うと窪川という駅から四万十川をさかのぼり

観光地で有名な「一斗俵の沈下橋」から

山の狭間を進んだ遥か彼方の僻地になる。

 

(橋の向こう側の山の先の先だ)

 

そこにうちの先祖が代々暮らしていた。

過去帖が残っていて、数えて7代前の野中半平、

時代で言うと寛政の改革の1787年までは記録がある。

 

何故そこに住み始めたのか真相はわからない。

わからないが1743年(寛保3年)の検地資料には

9戸、人口50人、馬6頭、牛3頭、銃ナシ、とあるから

そこの何戸かが先祖だった可能性はある。

 

それと、真偽が定かでないのでおとぎ話なんだけど

家に口伝で伝えられているのは、

さらに遡ること100年あまりの1656年

例の「野中兼山」が宿毛に幽閉される事件が起きた時、

高知から追放された親族の中にうちの先祖がいて

ここに逃れ住んだ(らしい)と。

 

野中兼山は元土佐藩家老、

善政が苛烈すぎた結果、政争に破れ幽閉の流人になった。

しかし没後も慕われ高知と宿毛には神社もある高知では偉人だ。

 

 

兼山の娘の一生を描いた大原富枝の小説「婉という女」は

映画化もされた有名な悲しい実話だが

もしうちの先祖が本当に親族だったとすれば

うちにはうちの秘話・悲話がきっとあったことだろう。

 

 

 

家紋が同じ以外は確かめようがないのでそれはそれとして

170年前に野中家が一斗俵の先にあったのは事実なので、

この秋に現地を訪れて先祖と同じ空気を吸って来ようかと思っている。

個人的なファミリー・ヒストリーの旅だな。

 

ところで、父方の曽祖父の名前は「正則」という

嘉永元年(1848年)に生まれ1919年に71才で亡くなっている。

「野中正則」がいたのなら「伊藤のりお」もいたんじゃない?

とは政則さんにまだ聞いていない。今度聞いてみよう。


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